+++誰ガあの子ヲ殺シタの?  大使溺愛 母の愛

+++1



 早く行かなくては……そう気は焦るものの足は思うほどうまく先へと進まない。未だ屋敷を出ることすら叶わず。身支度を整えただけで息が切れる始末。屋敷の門を出ることがこんなに困難であろうとは思わなかった。廊下が酷く長く感じる。
 気ばかりが焦る。早く……早く……王城へ。
 バチカル最上階に並び立つようにある王城がこれほど遠いと感じたことはなかった。手を貸してくれている侍女も心配そうな表情で私を見る。
「ナタリア様が偽姫だった言うのは本当のことなのでしょうか?」
「噂は常にありました。しかしそんなことは問題ではないのです。ナタリア様がお戻りになっているのなら……一刻も早くナタリアに会わなくては……共にいたはずのルークの事を尋ねなければっ……公爵様はあの子はアクゼリュスで死んだのだとおっしゃってました。ナタリアが戻っているのならあの子は?あの子は何処にいるの?迎えをやらねばきっと脅えているわ……」
 震えてしまい足が先に進まない。もう不安と心配で立っていられない。後少しで正面玄関へたどり着く。まだたどり付かないと言うのに、私と同じく焦る心持のものがいるらしい。扉が開き明るい光が差し込んだ。
 もしやあの子が帰ってきたのかしら?そんな毎日部屋の扉が開くたびに思ったことがまた脳裏をよぎる。白光騎士団に取り囲まれた貧相な男が訴えるようにこちらを見上げた。
 なんだか嫌な目だった。そうこの目はよく知っている。取り入り何かを代償に欲している目。シュザンヌは息を大きく吸いこみ震える足を叱責し姿勢を正した。
「ベルケンドの研究者です」
 頭を下げて男は許可をしておらぬのに大きな声で言葉を続けた。
「ルーク様のことで至急公爵様にお伝えしたいことがございますっ!!」
 出直していらっしゃいと言う前にルークの事と聞いてシュザンヌは眩暈を感じ瞼を閉じた。耳鳴りまでもが酷くおんおんと大きな音が頭を揺さぶる。ぐらりと傾いだ身体を侍女が支えてくれた。
「ルークの……」
 話を聞きたいと思うもののあの者の話は信用できるとは言い難い。
「すぐに王城へ使いを……」
 私がすぐに城へいきナタリア様に話を聞きたいところだが、それも叶わぬようだ。ラムダスが気を利かせて使いをその場で走らせた。研究者だという男はなおも言いつのる。
「待っている時間が惜しいのです!すぐに公爵様にお伝えせねば私も城へ一緒に参りましょう!」
「私がお伺いいたしましょう。息子のことですもの私が聞いても構いませんでしょう。そのあとで急を要するというのなら王城へご一緒いたしましょう。丁度出かけるつもりでしたの」
 シュザンヌは応接間へと向かって歩き始めた。しっかりせねば。
 なんだか不穏な空気がこのバチカルを覆っているような気がする。倒れている場合ではないのだ。シュザンヌは一歩強く踏み出した。








 「さて、ルークの事と申しておりましたね。どのようなお話でしょうか?」
 シュザンヌは姿勢を正したが、わが子の名前を口にするだけでじわりと目頭に涙が滲んできた。あの子が死んだと聞かされた記憶はそう古いものではない。まだ生々しくそのことはシュザンヌを苛む。むしろまだその事を受け入れられず。きっと帰って来ると信じていると言いきる自信があった。むしろ確信と言ってもいいほどにその『ルークの死亡』と言う知らせは薄っぺらい真実味に欠けたものに思えていた。
 どんな知らせであろうともいい知らせであろう。
 きょろきょろと辺りを落ちつかない様子で見回し、男はこの期に及んで言い淀んだ。
「ルーク様がお亡くなりになったと公式の発表を耳にしまして……私は知らせに参らねばと想いここまで来ました」
 男はそこで息をのみ込んだ。
「私はベルケンドで先日ルーク様をお見かけしました」
 シュザンヌはほらごらんなさいと驚きの声を上げたラムダスへ笑みを向けた。やはり生きているではないか。ナタリア殿下もお戻りになっているのだというのだから、ルークも無事に決まっている。しかし医療機関のあるベルケンドでということは何か怪我か病にでもなったのだろうか?
「それでルークは?」
「マルクトの死霊使いと共におられました」
「マルクトの死霊使いと言うのは……?」
 聞き覚えがあった。その名をシュザンヌの前で口にしたものはこの男と同じように顔色を青くして、少し震えていた。確か……そこで同席していた白光騎士団がそっと耳打ちをしてくれた。
「親善大使として一緒にアクゼリュスへ向かった者です」
「ならば無事ということですね……」
 シュザンヌはほっとして相好を崩した。
「ラムダス。この者に褒美を与えよ。よい知らせを持ってまいり御苦労でありました」
 その時この屋敷にしては珍しいほどの喧騒が扉の向こうでする。
「どうしました?」
 報償を取りに部屋を出ようとしていたラムダスが調べてまいりますと慌てて出て行く。開いた扉の向こうから聞き覚えのある声が聞こえる。それに呼応するように「ルーク様!」という呼びかけも
 シュザンヌは席を立ち扉へと向かうが、白光騎士に危険だとその部屋を出ることを止められる。そうこうしているうちに扉が開き白光騎士が顔を出した。
「ルーク様がお戻りになられ、ナタリア様が大詠師モースの姦計で危険なので助けたいと白光騎士団に退路の確保を命じられましたが、いかがいたしましょう」
「あの子の言う通りにっ!」
 シュザンヌが喘ぐように言うとあの子は?と辺りに視線を泳がせた。はしたないと思うものの子を心配する母心は抑えられなかった。
「ルークは何処です?」
「そのままナタリア様を救助に向かわれると王城へ向かわれました」
「母に顔も見せずにですか?」
「ナタリア様はルーク様の婚約者ですからご心配なのでしょう。ルーク様はご立派ですわ」
 落胆し脱力するシュザンヌを助ける侍女が慰めるように優しい言葉をかける。
「そ、そうね……でも……無事なら顔くらいみせてくれてもよいものを……」
 またどこか怪我でもしたのではとと不安が頭を擡げる。
「どこか怪我をしているような様子はありませんでしたか?」
「はい。お元気そうでした。むしろご立派になられておりました」
 騎士は膝をついたままでそう答えた。
「そう……無事で元気ならばよいのです……でもそれなら私に顔を見せてくれてもよさそうなものを……」
 つい安堵から恨みごとが漏れてしまう。子息の無事の知らせと帰還に屋敷に安堵の空気が充満する。そこへ独り波紋を投げるように悲嘆の声を上げた男がいた。先程無事の知らせを持ってきたベルケンドの研究者だった。
 ほんのひと時の差しかなかったが、無事の知らせをわざわざ知らせに来てくれたことには感謝せねばなるまい。シュザンヌはラムダスに目配せをして、応接間を出ようとした。
「なんと言うことだ!やはりあれはマルクトの策略なのかっ!公爵夫人騙されてはなりませんっ!白光騎士団をルーク様に預けてはなりません!そんなことをすればマルクトの思うつぼです!!」
「何を言っているのです?」
「私が知らせに来た本当の理由はそれなのです。あまりの重大なことに公爵様にだけお知らせするつもりでしたが!白光騎士団を意のままの使おうとし、ナタリア様を誘拐するとなれば話は別です。すぐに白光騎士を御戻しになってください」
「ナタリアを誘拐?」
「ナタリア様を誘拐」
 その場にいた者が同じように言葉を繰り返した。婚約者であるルークがナタリアを誘拐する必要性を感じない。
「ルーク様はレプリカだったのです!!ベルケンドで私が見たデータはルーク様はレプリカだったのですっ!!」
「れぷりか?とはなんです?」
 シュザンヌはレプリカは複製技術だということは知っていたが、それを生物に利用することはないという常識ぐらいは弁えていた。
「マルクトの死霊使いはレプリカの大家。きっと親善大使であるルーク様を亡きものにしたあとにレプリカを使いキムラスカを手中に収めんとしているのではないかという私の危惧は外れてはなかったっ!大変です。大変なことです公爵夫人」
「ルークは死んだと言うのですか?」
「それはわかりませんが……」
 独り興奮する男の話は要領を得ず、シュザンヌは混乱した。
「あなたはベルケンドで何を見たのです?」
「マルクトの死霊使い達と共に来られたルーク様は神託の盾の制服を召しておられて、ヴァン謡将を探しておいでのようでした。それで私はヴァン謡将を探して研究室へ。そこでルーク様がレプリカであると言うデータを偶然見てしてしまい。なんでもルーク様のレプリカは完全同位体という音素振動数まで一致する非常に稀なレプリカだと……」
「神託の盾の格好を……?」
「奥様と同じ美しい深紅の髪、碧の瞳。キムラスカ王家の色。見間違うはずがありません。あれはルーク様でした」
 男は力強く頷いた。どこか己に言い聞かせているようにも見えた。
「それで彼らを疑っていた私は情報収集をして、彼らがルーク様がレプリカだと話ているのを聞いたのです。同行していたジェイド・バルフォア博士はレプリカ技術の発明者ですから人を創ることも容易いのでしょう」
「ルークのレプリカ……」
 それはとても真実味を持って聞こえた。陛下と公爵様から伝えられたルークの死。それがまったくの間違いであってほしいとは思っていた。でもそんな間違いをするだろうか?とも思う。
「それはどういうことなのです?」
 声が震えるのを止められない。誰かが私の震える手を取って握りしめてくれた。
「あの子は死んだと言うことですか?」
「それは作った人に聞くかあのアクゼリュスにいた者しかわかりません……」
「マルクトの奴ら……っ!」
 その場に居合わせた白光騎士が憤りをあらわにする。
「また……私は子供を失ったのですか……?」
 わからないと言う言葉に少しの救いを見出すと同時に意識は暗い闇へと引きずり込まれた。耳鳴りか外の喧騒が頭の中でおんおんとまた響いていた。





++++++++++




   
+++2



 ナタリア殿下とルークがバチカルに戻ってきた。長い長い旅から戻り世界の平和のために尽力したと公爵様はおっしゃりそれなりに満足そうであった。ルークがレプリカだとかいうモノだと言う話はどうなったのであろうか?兄上も公爵様も一度そんな話をされたきりそのことに触れない。

 目の前に立つルークがニセモノだとでも言うのだろうか?レプリカなんて言う話が偽情報だったのではないかとシュザンヌは思っていた。
 だが、目の前に立つルークはどことなく知っているルークとは違った。無邪気に母へと飛びついてくる様子もなく笑顔一つ見せない。青い顔色をしてずっと俯き加減で床を見つめていた。

 応接間でルークは脅えた表情でクリムゾンとシュザンヌの前に立っていた。私の自慢だった美しいルークの髪が短くなっていた。……酷い。それ以外はまるであの子が帰ってきたように思えた。おどおどとして少しばかり怯え揺れる瞳さえなければきっと騙されてしまっていただろう。
 大事なお話がありますと意を決したように言ってからずいぶんと時間がたった。まだルークはそれ以上の言葉が出せないようで口を開こうとしてはまた脅えたように床を見る。それを何度となく繰り返していた。
 短く切られた髪は跳ねて少しみっともない。おどおどと脅えたように泳ぐ目はあの時知らせに来た研究者に似て虫酸が走る。レプリカと聞いていなければまったくあの子とそっくりで、そしてヒトと同じではないか。何が違うと言うのか。違わないのならあの子だと言って欲しい。多少の違いはまた記憶のなくしたのと変わらないのに……
「レプリカ……」
 ついシュザンヌの口からその言葉が漏れてしまった。ルークの身体がびくりと震えた。そんなに脅えなくとも獲って喰いはしないのに、いったい公爵夫妻をどのような悪鬼だとマルクトに言い含められたのか。
「ごめんなさい……俺、レプリカだったんです。それで……俺……」
「ええ……そんな話を陛下から聞いております。お前はルークのレプリカと言うモノらしいと。それでルークはどうしたのですか?」
 ルークははっとしたように顔を上げてシュザンヌを泣きそうな目で見た。ルークは痛いというように慌てて目を反らした。
「まさかアクゼリュスで死んだと?それともマルクトに暗殺でもされましたか?」
「いえ……そんなことは……。アッシュは……オリジナルは今はアッシュと名乗ってます。アッシュはダアトで特務師団に……」
「生きているのですか?!!」
 シュザンヌは咄嗟に立ち上がった。
「何処にいるのです?!!」
 ルークの肩がまた大きく震え、脅えた目でシュザンヌ達を見上げた。そんなにルークとそっくりな姿でそんな目をすることに苛立ちが募る。あの子はもっと溌剌として太陽のような笑顔で母上と呼んでくれるのに……そんな縋るような眼で卑屈な表情をするのはきっとレプリカだからか。なんて惨めなイキモノなのだろう。
「今は何処にいるのかわからなくて……ごめんなさいっ……」
 脅えるように小さくなって頭を下げる姿は酷く惨めであった。あのルークと同じ姿でそんなことをしてくれるなとシュザンヌの苛立ちは募る。
 レプリカから目を背けてシュザンヌは公爵に詰め寄った。
「すぐに迎えをやってくださいな。きっと怯えて不安に思っていますわ」
「手配させている」
 公爵はシュザンヌを慰めるように優しい声でそう言うと肩に手を置いて座るように促した。シュザンヌが座って一息ついた後で公爵はルークへと向き直った。低く感情のない声で公爵は言った。
「さて、レプリカ正直に自身のことを告白したことは褒めよう。それでお前は今後どうするつもりだ?」
 迷子のような瞳でルークは二人を見上げた。
「まさかこのままルークとしてファブレにいるつもりだと?」
 シュザンヌの言葉にルークはそのつもりだったとでも言うように言葉に困って部屋を見回した。
「俺……ここしか……」
 公爵は溜息をついた。ルークは見上げることをやめて床を見つめていた。その両手は白いコートの裾を強く握りしめて震えていた。ルークのお気に入りの洋服をなぜこの者が着ているのか、まさか入れ替わるために剥いだのでは。そう思い至ると早々にそれはあの子の服だと脱いでと叫びたくなった。あの子のために買い与えた洋服、私には理解しがたい背中のマークにご執心でとてもはしゃいで喜んで、剣の稽古のためにあげた手袋。あの手袋は普段からつけるほどにとても喜んでくれた。いつもガイに履かせてもらうのだと恥ずかしげに告白したブーツ。何もかもがあの子の思い出の品なのに、どうしてレプリカがそれを身につけてのうのうとシュザンヌの前に立っているのだろう。
「ごめんなさい……俺……間違ってました。俺はアッシュを見つけて連れてきます。それから何処か……何処か……」
 声が小さくくぐもって行く。嗚咽になる。幼子を虐めているような気持ちなった。泣きたいのはシュザンヌの方だ。公爵がルークの言葉を遮った。
「いや、何処かへ行く必要などない」
「でも……ここはルークの場所だから……俺は……」
 ほっとしたように顔を上げながらも、卑屈にも固辞しようとする。
「浅慮されては困る。ルークとしてはおられぬことは理解出来ような。だが、お前にはここにいてもらわねばならぬ。キムラスカの王位継承権を有するその容姿で外に出られては混乱を招く。わかるな?」
 初めは涙を浮かべていた瞳が次第に光を失い。こくりと力なく頷いた。
「我らはお前を保護せねばなるまい……」
「よろしくおねがいします……」
 俯いたままくぐもった声で小さくそう言った。

 「正直にレプリカであることを告白してくれたことに感謝します。あの子に迎えをやれますもの……」
 シュザンヌは項垂れた者の名前を呼ぼうとして知らないことに気がついた。ルークのレプリカだからルークレプリカなのだろうか?それとも名前があるのだろうか?これからは偽りの名前ではなくちゃんと名前を呼んでやろう。こんなにわが子にそっくりだから邪険には出来そうにもなかった。
「あなたのお名前は何といいましたかしら?」
 レプリカの眼ははシュザンヌを呆然と見開いたまま見上げていた。ルークと動いた唇は声になることはなく。
「ルークはあの子の名前ですよ」
「な、名前……俺の名前……」
「ないのですか?」
 こくりと頷いてまた下を向いて項垂れた。
「そうですか……」
 シュザンヌは困ったわと思わず息をついてしまった。なんだがとても疲れてしまった。あまりにもルークと似すぎているのだ。ちょっとした表情やしぐさまでもがルークに似ている。着ているもののせいかもしれない。レプリカとはこんなに似ているものなのだろうか。違うのはあの卑屈そうでおどおどとした瞳。決定的にそれだけが違った。
「名前などよい……連れて行け」
 ルークは白光騎士に引きたてられるように地下にある独房へと連れていかれた。



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+++3
+++以下:暴力表現あり痛いです注意。駄目な方は11へジャンプ



 何か叫んだような気がした。目を開くと薄暗い石積みの壁が目に入った。知らずと転寝をしていたらしい。背凭れにしていたベッドの角があたって背中が痛い。
 息が苦しい……
 額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。目の前の薄暗い壁が少し怖かった。ふるふるとルークは否定するように頭をふった。
「大丈夫……大丈夫……」
 何が?と自分でも思ったが耳を両手で塞いで、自分で言い聞かせる。鼓動が次第にゆっくりと落ちついて行く。
 青い空がみたいな……ふとそんなことを思った。脳裏にアルビオールで飛んだ果てしない空がよぎった。ガイがすごいなルークと笑みを向けてその吸い込まれそうな空にガイの服の裾を握り占めていた。ガイがそのまま何処かへ行ってしまいそうで怖かった。ルークは慌てて頭を振った。
 ああ……本当に空は青くて広い…
 ルークはほっと息をつく。


 「大丈夫……大丈夫……ガイ……」
 あまり変わらないな。とルークは考えた。ちょっとベッドが堅くてカビ臭いだけで、前とちっとも変らない。食事は嫌いな人参が入ってるのも変わらないし、とはいえ今は何を食べても砂を噛むような感じしかしなかった。出られないのも思うようにできないのも……何も変わらない。

 あの時の両親の目が忘れられない。ニセモノだと断罪されることは覚悟していたはずなのに……その決意も覚悟もぼろぼろと砂のように崩れた。みっともなく二人の前で涙など見せてしまった。
 ふと息をついて顔をあげてもいつもならある出窓はこの独房にはなかった。小さくても青い空の見える窓がないのがちょっと憂鬱だった。でもどちらにせよ出窓があってもそこから訪れるガイはいないのだ。

 ルークの物をすべて返せというように何もかもが持ち込むことができなかった。洋服も新しく簡易なものを与えられた。ごろごろするには都合がよいのが気にいっている。
 日記も持ち込むことができなかったので、ルークは毎日することがなく壁に日付を知るために印だけをつけて行く。ふと脳裏をよぎる断罪する両親を思い出してごめんなさいと毎日ずっと繰り返した。
 早くアッシュが帰ってきてお二人に笑顔を取り戻してあげて欲しい。母上にあんな辛そうなお顔をさせてしまったことが辛い。帰って来るんじゃなかったと後悔ばかりだ。でも他に行く場所を知らない。
 食事を持ってきてくれる者に暇つぶしのために本を希望した。本を読むのか?と感嘆の声を上げられた。確かにあんまり勉強は好きじゃなかったから本を要求するなんて前の自分からは考えられないだろうなと思わず苦笑してしまった。
 残念ながらまだ本は配達されたことがない。仕方ないので腹筋をして時間をつぶす。もうガイにはったりなどとは言わせない。
 それでもガイはまだはったりって言うだろうか?ガイの明るい笑顔を思い出したらちょっと泣きたくなった。ガイみたいな太陽は久しく見ていない。
 アッシュはまだ見つからないのだろうか?早く帰ってきてくれればいいのに。






+++4



 部屋から出ろと言われて連れて行かれた部屋も暗い部屋だった。なんだか嫌な感じがじわりと滲むような部屋だった。明かりは音素灯が一つテーブルの上に置かれていた。それが眩しくてルークは目を細めた。
「あの……?」
「まぁ座りたまえ」
 連れて来てくれた白光騎士は椅子をすすめてくれたので、テーブルの前にある椅子にルークは座った。彼はそのままそこを出て行ってしまった。静かなまま時間だけが過ぎていく。部屋の変更だったのだろうか?何も説明されないと言うことに慣れたとはいえ、やはり不安が募る。
 もしかしてアッシュが帰って来たのだろうか?それでもういらないとか……そんな感じのことなのだろうか?揺らぐはずのない音素灯が焚き火の焔のように、ゆらゆらと揺らめいて見える。
 揺らめく焔にガイの声が蘇る。

「薪を一度に入れ過ぎだ」
「え?」
 火番をしていたルークにガイが心配して様子を見に来たらしい。火が弱い気がして薪をたした途端にますます火勢が弱くなり少しうろたえていたところだった。ガイが薪を手に少し木を動かすとそれだけで火は火勢を戻した。
「あ、ありがとうガイ……」
「火が燃えるには空気が必要だから少しこうして隙間を開けてやるといいんだ。ぎゅうぎゅうに詰まっていると燃えにくい」
「そうなんだ……」
「少しづつ覚えていけばいいさ」
「うん」

 焔が揺らめいて目を指したような気がした。顔を上げると目の前の椅子に知らない男が一人座っていた。柔和な笑みでルークを見ていた。
 焚火はなく音素灯がテーブルのうえに一つあるだけだった。当然ガイも隣にいない。
「ルーク様?気が付かれましたか?」
「え?あれ?……ごめん。俺……」
 待っている間に転寝をしてしまってたのかとルークは瞼を擦った。
「ガイとは誰ですか?」
「え?俺の幼馴染兼使用人。ずっとここで働いてたんだけど知らないか?」
 寝言でガイの名前を口にしてしまっていたらしい。少し恥ずかしくて顔が熱くなった。
「ああ、ルーク様付きの使用人の名前がガイでしたか……私は中のことに少し疎くて申し訳ありません」
 男は照れたように頭を掻いた。
「どこか遠くにいたのか?」
「ええ、地方の警備を主にしておりまして、バチカルに戻ってきたのは最近です。この大地降下のおりに呼びもどしていただけました」
「そっか……その……俺が言うのも変だけどさ。巻き込まれなくてよかったよ」
 柔和な笑みのまま男はありがとうございます。と礼を述べた。
「それであんたは……その……」
 同室者なのかそれとも何か用があってここにいるのかということを聞きたかったのだが、同じように罰を受けているとも思えなくてルークはいい淀んだ。
「これは失礼しました。白光騎士団に所属しております。セダムと申します」
「あ、どうもよろしく」
 ルークはぴょこりと頭を下げた。同室者ではなかったようだ。ならば何か用があってここにいると言うことになる。
「俺に何か用があるのか?」
「ええ……まぁ……そうなんですが」
 男は口ごもりはっきりと言わない。
「なんだよ?俺は難しいことはわからぬぇぜ。それともアッシュがじゃねぇ本物のルークが帰ってきたとか?」
 ルークは毎日、実は怯えていた。本物が帰ってくれば処分されてしまうのではないかということに。それは少しだけ怖いと思っていた。
「ルーク様のお話相手をするようにと申しつかりましてね」
「は?いやそれより俺はルークじゃない。わかってるんだろ?俺はレプリカなんだ。ルークのレプリカで人間じゃなかった」
「人間じゃない?どうみても人に見えますが……?」
「違うんだってさ。俺だって信じたくなかったけど……おれはレプリカなのは変えられない。ルークじゃなくて出来損ないのレプリカなんだ」
「自分の事をそんな風に思ってはいけません」
「だけどみんなそう言うし、事実俺は人ではない」
 ルークは項垂れた。そんな風に言ってくれる人は少なかったし、そう言ってくれた人はみんなここにはいない。
「それはさぞかし不安ではありませんか?私に出来ることがあればなんなりと言ってください」
「お前が何を言ってるのかわかんねぇ」
「そんな不安だと顔に書いてありますよ。子供がそんな意地を貼るもんじゃない」
 男はくしゃりと笑った。どこかヴァン師匠に似ているような気がした。
「なんでそんなこと言うんだ?お前変だよ」
「そうですか?」
「変だ……」




   

+++5



 翌日も同じように別室に連れて行かれた。またあの男と話ができるのかなと思うと少し心が浮上した。まだ数日しかたっていないが、会話に飢えていたのかと苦笑してしまう。椅子に座って彼を待つ。扉の音で顔を上げると違う男が立っていた。ラルゴのように大きな男で部屋が途端に狭く感じた。男が座ると椅子が悲鳴のような音を上げた。ルークの座っているものと同じ椅子だがずいぶんと小さく見える。思わずおかしくてくすりと笑ってしまった。
「何がおかしいレプリカ」
 ドラのような声ですごまれてルークは俯いて詫びた。昨日の出来事で緊張が解けてしまっていたらしい。そうだ自分はレプリカだった。充分に反省して生まれ変わると決めたのに油断すると馬鹿なあの頃に逆戻りしてしまう。
 俯いたままで反省していると髪を引かれて上へと顔を引きあげられた。
「っ!痛い……!」
 いくら怒ったからと言っていきなりこの仕打ちは酷い。反射で涙目になるのを力を入れて堪えた。
「何するんだよっ!」
「さて、レプリカに聞きたいことがある。正直に答えればよし。そうでなければわかっているな?」
 わかっているなと男は音素灯に何か光るものを翳した。針のようなそれで何をするというのだろうか?ルークにはわからなかった。とにかく答えられればそれを使うような不穏なことにはならないと言うことだけはわかった。
「確認しておくが、本物のルーク様はマルクトに捕まっているわけではないのだな?」
 ルークは頷いた。
「アッシュはすることがあるみたいで、何処かへ行ってしまった」
「それではキサマにマルクトから与えられた指令はなんだ?ルーク様になりすましどうするつもりだったのだ?」
 ルークは言われている意味が理解できずに男を見返した。
「なんのことだ?」
「マルクトからお前は何をしろと言われたかと聞いているのだ。こんな簡単な言葉も理解できないのかレプリカ」
 隠すつもりもない侮蔑の感情。
「そんなの言われてない……」
 男の目を見て言葉を返すと途端に星が瞬いた。頭が反動ですぐ横の壁にあたった。耳に残響が残る。痛いと言うより熱い。
「な……?!」
 何が起こったのか理解できずに熱くなった頬に手を当てた。壁にあたった頭も痛い。振り上げられた大きな掌に平手で頬を殴られたことに思い至る。落ちてくる掌に逃げる先がなく、を目を閉じ歯を食いしばって堪えた。
「もう一度聞く。マルクトから何を言われた?」
 痛みのために溢れる涙が耐えきれず頬を伝う。ルークはショックのあまりに口を開くこともできずに首を横に振った。髪が引き上げられ男がルークを覗き込んだ。
「知らないというのか?」
 ルークは必死で頷いた。
「ならば連絡があるということだな。連絡の取り方はどういう手筈になっているのだ?」
「え?連絡……?」
「マルクトから指令を受ける手はずだよ。どういう合図。いやルートでも構わないぞ。知ってることをすべて言え」
「知らないっ!俺は何も……」
「素直に吐かないと痛い目を見ることになるのはもうわかってるんだろ?いくらレプリカといえども痛いのは嫌だろうが……」
 男の声が少し優しくなった。
「痛いのヤダ……」
「なら正直に言っちまえ」
「だって……俺に何かしろなんて誰も言わなかった。自分のできることから少しづつ頑張ればいいって……」
「ほぉ誰が?」
「ガイ……とジェイド」
「ああ……ガイと死霊使いか。確かガイってのはマルクトの伯爵位を賜ったそうだな。ずいぶんと出世だ。ルーク様とレプリカを摩り替えた報償だろうな。お前はこんな暗いところで痛い目にあってるっていうのにガイは今ごろお貴族様だ。ほら言っちまえ。それで何をしろと言われた?」
「ガイはそんなのじゃない!ガイはガイは……っ!」
 ガイはそんなのじゃない。ガイの悪口をいうこいつは嫌いだ。涙がまた溢れて視界が滲んだ。
「泣いてたって助けは来ないぞ。そのガイから何をしろと言われたんだ?」
「だから……俺の出来ることから」
「出来ることってなんだ?」
 引かれた髪が痛くて俯くこともできず、ルークは髪に手を添えて男にあらがった。不意に手を放されれて椅子の上に身体が戻った。
「もっと勉強して役に立てるように……」
「そうか……もっと役に立てるようにな……いい心がけだ」
 ルークは男の求める回答が出来たようだと安堵した。とたんに頬の痛みがぶり返した。口の中も切ってしまっていたらしい。鉄臭い味がした。
「その調子で連絡方法もさっさと吐けよ」
「そんなのない……」
「そんなことないだろう。どうやって連絡してくるって言ってたかよーく考えてみろ」
 ルークはよく考えてみたがジェイドもガイもルークがレプリカであることとは関係がなく。キムラスカに対しても和平以外の心算もないことはルークが一番よく知っていた。
「和平のためにナタリアに協力しろって……」
「偽姫騒ぎのあったナタリア殿下までだきこまれてしまっていたか……」
 男が悔しそうに呟いた。
「そんなんじゃなくて!世界で争いがなくなるようにって……!」
「そう言えば聞こえがいいからな。そう言えって言われたか……ナタリア殿下もレプリカのせいで酷い目にあわれることになるかもしれないな」
 男は気の毒にと眉を顰めた。
「ナタリアは関係ないっ!」
「そうだろうとも、あのナタリア姫がマルクトにましてやレプリカに協力などと言うことはあり得ないからな。嘘をついた罰を受けてもらわないといけないと思うだろう?」
 男は口の端をゆっくりと楽しそうに上げた。
「嘘なんか……言ってな……」
 ルークの右手を男がとり机の上に抑えつけた。先程見せられた先の鋭い針のようなものをルークの指先爪の間に突き立てた。想像もしていなかった痛みにルークの口から絶叫が上がった。
「嘘なんか付くからだぞ」
 強い力で腕を抑えられたままでルークは逃れることもできず。うめき声を飲み込んだ。頭を占めるのは痛いと言うことだけだった。




   

+++6



 針は抜かれたが、部屋に戻った後も指先がジンジンと痛み熱を持っていた。効き手じゃなくてよかったとルークは手を抱きしめながら泣いた。
 尋ねられたことにはきちんと答えたつもりだったが、やはり勉強をさぼったツケが回ってきたのだろう。相手には通じずルークは嘘をついたと責められた。何を尋ねられているのかルークにはわからなくなってきていた。一晩よく考えてみろと男は言っていた。明日もまたあの男に同じように質問されるのだろうか?また……
 ぶるりと身体がみっともなく震えた。

 扉が開く音が酷く恐ろしかった。昨日とはまた違う人が来るんじゃないかなどというルークの希望は叶うはずもなく。見覚えのある大きな男がむくりと顔を出した。
「よぉく一晩考えたら思い出しただろう?」
 男は猫なで声でそう言った。
「マルクトからの指令はどうやって届くんだ?」
 男はきらりと針を光に翳して見せた。ルークは無意識にテーブルの下に隠した拳を強く握りしめた。昨日の傷がずきずきと熱を持って痛んだ。
 あるはずもないマルクトから指令など届くはずもないのでルークは答えられない。
「痛いおもいをする前に言ったほうが身のためだぞ」
 そう言いながら男はルークの腕を掴み、テーブルの上に腕を固定した。
「わからないっ!わからないんだ!」
 ルークは救いを求めるように男を見た。
「愚かなレプリカにはわからないか?」
 ルークは強く頷いた。何もわからない。聞かれていることがどういうことなのかも、それに対する答えも。みんなと旅をしている時も初めの頃は同じようにみんなの言っていることがわからなくて、それでも徐々にわかるようになってきていたと思っていた。しかしそんなのまやかしでしかなかった。
 指先から痛みが走った。ルークはわからないと言うために開いた唇で、またみっともなく叫び声を上げた。
「思い出したか?」
 ルークは首を振るしかできなかった。もう頭を占めるのは痛いと言うことだけだ。何度目かの質問と何度目かの痛み次第に意識が朦朧としてくる。
「お前の使用人、ガイはお前にどうやって連絡するって言ったんだ?」
「ガイ……?」
 ガイの笑顔が浮かんだ。どうしているだろうか?グランコクマで楽しくやってるんだろうか?グランコクマの噴水が酷く懐かしく感じた。そう言えば別れ際にガイは手紙を書くからと何度もルークに言っていた。
「ガイは俺に手紙を書くって……言ってた」
「よし。よく思い出したな」
 男はヴァンのような大きな掌でルークの頭を撫でた。涙で滲む視界で見上げるとヴァン師匠がそこにいるような気がした。





+++7



 ここ数日でルークが学んだことは。レプリカであるルークとかかわるとそれだけで相手に迷惑がかかると言うことだった。目の間にちらつかされたガイからの手紙を涙ながらに読んで号泣した。ガイに助けて欲しい一心でガイの名前を呼べば、呼びだす返事を書いてよいと言われた。手紙の暗号の解き方を吐けないのならガイを呼びだしてガイに直接聞くという。
 ガイもこんな目にあうのかと思うと恐ろしくて手紙など書けなかった。それがまた男を怒らせたのだけれど、もうルークにはどうでもよくなってきていた。名前を出した者はルークを創りキムラスカに害をなそうとしていると疑われる。知り合いなど数えるほどしかいないが、それでも誰に助けを求めることもできないそう思うとなんだかとても寂しく感じた。『誰の名を出してもいけない』それだけが心に深く刻み付けられた。
 瞼が腫れているのかここ数日、目がよく見えない。両方の手も痛みで言うことを効かなくなってきていた。助けてと思うが誰にもそれを求めてはいけない。ルークはレプリカでごめんなさいと詫び続けた。もう許される言葉がそれしか思いつかなかった。
 お勉強がちゃんとできなかったレプリカなのがいけなかったのだろうか?それともアッシュに全然似ずに駄目なレプリカなのがいけないのだろうか?ガイやジェイドといったマルクトの人と仲良くしたのが駄目だったのはわかったので二度と名前を口にしないことにした。マルクト人は呼びだして同じ目に合わせると言っていた。
 なぜ今ルークは責められて痛みを与えられているのかがずっとわからなかった。アクゼリュスを崩落させた罰を受けているのかもしれないとも思っていた。そうだアクゼリュスを崩壊させた時にだってみんなに見捨てられた。何も知らないで傲慢で我儘なルークはいらないって言われたから、俺は変わるって決心した。変わって役にたつレプリカになるって……
 アッシュの代わりに死なないといけないのかもとも思った。預言は知らないけれど、痛い思いをして死なないといけないのかなぁなどと思い始めていた。
 いろいろと考えるがそれも痛みでとぎれとぎれで結局は痛みから逃げたいとか、治癒術をかけてほしいとかそんなことに思考は戻って来る。
 罰なんだろうか?いつまで続くのだろう……本当はこれは夢でいつもの退屈な毎日が始まるベッドで目が覚めるとか……。それともまだ旅の途中で野宿して寝苦しくて目が覚めたらガイがどうしたって頭を撫でてくれるんじゃないか?
 そんなの逃げで罰だったら受けないといけないのにルークは己の駄目さに泣きたくなった。

「まだ連絡方法すらわからぬのか?ルークに似ているからと言って手を抜いているのではないだろうな」
 聞き覚えのある声が廊下から聞こえた。懐かしさで涙が溢れる。死にたくない痛みから逃げたいという本能が強くルークを支配する。
 扉が重い音を立てて開いた。ルークは見えずらい目で見るためには顔を上げて真正面を見るしかなかった。
 短く息を飲む音がした。ルークは椅子から転び落ちながらクリムゾンへと手を伸ばした。
「父上……っ!許してください!許してっ!父上!!」
 クリムゾンが一歩下がった。ルークは床に這ったまま泣いて叫んだ。
「なんと言う……ことだ……」
「公爵様申し訳ございません」
 男はかしこまって頭を下げるとルークを蹴り飛ばした。
「ごめんなさいっ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
 ルークは身体を丸め何度も詫びた。


「治癒術師を呼べ!!」
 クリムゾンは叫び踵を返した。腫れて変色した頬に瞼。血がこびりつき色が変わったキズ痕。腫れて無残な指。爪はすべてが変色していた……クリムゾンは思わず息を飲んだ。
「ルーク……」
 わが子が死ぬと預言のあった時からその死は覚悟していたが、あのような姿で苦しむ姿を見る覚悟はしてはおらず。あまり関わりを持たないようにしていた子だとしても、そっくりなルークの様子はクリムゾンに酷い衝撃を与えた。
「公爵様っ!」
 男が慌てた。
「そこまでしても吐かぬのなら。理解できぬのだろう。レプリカというのは知能はあまり高くないのかもしれぬ。他の方法を……もしシュザンヌがあのような姿を見れば正気ではいられぬぞ」
「申し訳ありません……しかし相手はレプリカです」
「私も人の親だと言うことかもしれぬ」
「では、催眠術で過去を思い出させますか?」
「その方がよかろう」
「しかし精神が崩壊すればそれ以上は追及できませんが、よろしいので?」
「うむ。必ずそうなると決まったわけでもあるまい」





+++8



 「父上……?」
 久方ぶりに眠っていたようだった。陽だまりの夢を見て目が覚めたら薄暗い壁があるだけだった。ルークは少しでも明るいところへと身体を寄せ視線を向けた。
 父上が来てくれた。そして治癒術師を呼んでくれたおかげでルークの傷はすべて癒された。ルークは痛みから解放された。そのせいだろう居眠りをしていたらしい。暗いところは嫌なことを思い出すので嫌いだった。出来るだけ明るいところにいるようにしていた。ベッドは一番暗い部屋の隅にあるのでベッドを使用したのは初めのうちだけだった。ルークは床の上で毛布を引き寄せて丸まった。
 たとえ小さくとも青い空が見えないことがこんなに心細いことだと知らなかった。しかし今日はいつもよりも胸が暖かく感じた。
 父上が治癒術師を呼んでくれた。許してってみっともなく叫んだルークに情けをかけてくれたのだ。父上はやはり優しい方だったのだ。ルークは仄かに灯る胸の暖かさを逃さぬようにもっと丸くなった。

 それでもルークは別室に呼び出された。またあの男にわからない話をされて、怒りを買い。殴られたり針で突かれたりするのだろうか?びくびくとしながらルークは座って待った。暗いのは嫌いだが、今日の音素灯は酷く眩しかった。
 扉の向こうからはあの柔和な笑みを浮かべた男が顔を出した。
「しばらく警備に駆り出されてたんだが、ずいぶんとやつれたね……」
 かわいそうにとは言わなかったが、男のその気持ちがなんだか無償にありがたかった。
「いろいろあって……だけど父上があの……」
 治癒術師を呼んでルークに治療を受けさせてくれた。と言葉にするのが少しもったいない気がした。父上はとても優しくていい人だと改めて言うのも変な感じがした。
「公爵様のことかな?」
 ルークは頷いた。知らずと笑みが漏れる。
「何かいいことがあったみたいだね」
 ルークは強く何度も頷いた。そこでノックが部屋に遠慮気味に響いた。ルークはあの男が来たのかと怯えて俯き両手を握り占めた。キズは治っているのにそれだけでずきずきと指先が痛んだ。
「ああ、大丈夫。お茶を持ってくるように頼んだんだ。ちょっと喉が乾いていてね」
 男はそう言って席を立った。少し開いた扉から盆に乗った茶器が差し出された。持ってきた人間は入ってくる様子はない。
 テーブルの上に盆を置く。茶器は二人分。
「君も飲むだろ?」
 ルークはしばらく思案した。マナーとして飲んでいいのかどうかがわからなかった。困惑したままルークは男を見上げた。
「お付き合いしてくれよ。酒じゃなくて申し訳ないが……おっと君は未成年だったかな?」
 ルークは頷いた。ポットからカップに紅茶が注がれる。紅茶のよい香りが辺りに広がった。そうだ紅茶ってこんな香りがしていたんだと改めて気が付いた。
 どうぞと言って差し出されたカップを手にルークは香りを楽しんだ。そしてゆっくりと一口、口に含んだ。ほっと息が漏れた。
「おいしい……」
 こんな気持ちは久しく忘れていたような気がする。カップの中の美しい色が揺れる。こんなことが平和っていうのかもしれない。
「おいしいかい?俺は茶葉のことはわからねぇけど、このお屋敷では騎士団の詰め所の茶葉もいいもん使ってるんだろうねぇ。さすがは公爵様だねぇここに来てからさ、茶がうまいなんておもったのは」
 男は笑った。ルークもつられて笑った。
「やっと笑ったね……」
 ルークは顔が強張るのがわかった。慌ててカップをテーブルの上に戻し俯いた。また調子に乗ってしまっていたと唇を噛みしめた。
「ご、ごめんなさい」
「どうして謝るんだい?」
「レプリカが笑ってごめんなさい」
「レプリカって笑っちゃいけないのかい?」
 ルークは頷いた。
「たぶん……他にレプリカがいれば笑ってもいいけど俺は駄目だ」
 男は呆れたように息をついた。ルークは怖くて顔を上げられなくなった。ごめんなさいと繰り返して身体を小さくした。
「俺は笑ってもいいと思うんだけどなぁ……とてもかわいいし一緒にいても楽しくなるよ」
「俺は駄目なレプリカだし、罪を犯したから駄目だ」
「どうしてそう思うんだい?」
 不思議な感じのする声にルークは顔を上げた。音素灯が眩しい。
「だってみんなそう言ってる……俺はルークのものを奪った愚か者で、罪を犯して……いなくなればよかったのにって……全部返さなくっちゃ……いけないんだ……」
「みんなって誰?」
 その言葉に目がちかちかとした。クリフォトでのみんなの声がリフレインする。でも人影はぼんやりとしてはっきりとわからなかった。黒い人影の名前を思い出そうとすれば、ルークの身体がぶるぶると急に震え始めた。あの男が拳を振り上げて笑うなと怒鳴っていた。
「あの怖いヒト……痛いのヤダ!殴らないで!ごめんなさいっ!笑わないから!ごめんなさい」
 ルークは身体を丸めて頭を庇うように腕で覆った。

 ぱんと乾いた音がした。殴られたと思ったけどどこも痛くなかった。
「怖いこと思い出させたみたいだね。悪かったね……今日はこれくらいにしておこうか。また明日も遊びに来られると思うんだ。またお茶を用意しておくよ」
 男は笑って盆を手にし部屋からでていった。





+++9



 数日、あの怖い男は現れなかった。もう一人の男とお茶を飲んで、何気ない話をして、旅の間の話とかをした。一緒に行った人たちの話はしないでおいた。そうすればあんまり話ができることがなくてすぐに沈黙になってしまう。
 タタル渓谷でセレニアの花畑が美しかったことを話した。実はこの話も何度目かになる自覚はあったが、人に話せる話はそれくらいしかないのだから仕方ない。
「一度行ってみたらいいよ。夜のタタル渓谷はセレニアの花が美しい」
「ルークが初めて外に出たのはその時かい?」
 たぶん……とルークはこくりと頷いた。
「ルークの一番古い記憶はなんだい?その時の記憶かな?」
 一番古い記憶と言われてルークはそう言われてみれば、一番古いと思われる記憶は何かなんて考えたことなかったことに気づいた。ガイに抱っこされて見えたガイの項か?ペールの庭の花?それともテーブルの上の料理が並んでおいしそうだと思ったおぼろげな記憶かもしれない。
 それより前は暗いところ……そこでルークは怖くなって両手を握り占めた。ガイの話はしちゃいけないからテーブルの上の料理がおいしそうだったことを話した。
「今度スープも差し入れしよう」
「人参は入れないで……」
 ルークはちょっと嬉しくてそう付け加えた。男が楽しそうに笑ってルークも嬉しくなった。
「人参が嫌いなのか?」
「うん……嫌い」
 顔を上げたら音素灯がやはり眩しくて眩暈がした。

 瞼を閉じてもまだ眩しかった。
「その前にさかのぼってみようか?」
 その声に引きずられるように先程怖いからと目を背けた暗い場所にルークは戻ってきていた。
「うん……暗いところだから怖い……寒いし暗い……」
「そこはどこだかわかるかな?」
「……コーラル城の中」
「誰かいるのかい?」
「ヴァン師匠とディストが俺を見てる。暗いし、ぼやけて見えにくい」
「ヴァン?彼は何か言ってるかい?」
 ルークは頷いた。
「ヴァン師匠は成功だって。お前はルークとして鉱山の街で代わりに預言を成就しなくてはいけない。よいな。お前は今からルークだ。ってヴァン師匠が頭を撫でてくれた」
「それで?」
「眠くなって覚えてない……」
「寝ちゃったのかい?」
「たぶん……」
「それで?」
「音がして目が覚めたら大勢の白光騎士団に囲まれてて、怖くて泣いて……」
「ルークは、鉱山の街で代わりに預言を成就するために創られたか……」
 男の呟きにルークは頷き、次の瞬間呟いた。
「そうだったんだ……」
 ルークははっとしたように顔を上げた。
「夢を見てた……昔の夢」
 ルークは人前で居眠りをしていたことを恥ずかしく思って頬が熱くなった。
「疲れてるんだろう。もう今日はこれくらいにしておこう」
 男はそう言って席を立った。ルークは本当に疲れていたらしく脱力してしまい。椅子から立ち上がることができなかった。べったりと身体に黒い影が張り付いているような錯覚に囚われた。






+++10



 ルークはいつものように独房に戻される。いつもとおなじ薄暗い部屋により恐怖を感じた。毛布を被り少しでも明るいところにしゃがみこんだ。目を閉じるとアクゼリュスの闇やコーラル城の闇が目の前に広がるような気がして瞼を閉じられなくなった。
「ごめんなさい……」
 俺はルークの代わりに鉱山の街で死んでルークを助けるために生まれたのに……その役目を果たしていない。ヴァン師匠にここで役目を果たせと丁寧に指導してくれたのに抵抗して、父上も母上も落胆するはずだった。7年も大切にしてもらったのにその御恩返しをするどころかアッシュが何処にいるかわかんなくて、のうのうと戻って来るなんて今さらながらだったがすごく恥かしくなった。
 何度お詫びをしても足りない気がした。
「思い出せてよかった……どうしてこんな大切なこと忘れてたんだろう」
 目の奥で音素灯の白い光がちかちかとしていた。


 『愚かなレプリカ……』
 そんな風に言われてルークは項垂れた。その声はガイであったりジェイドであったり。アニスの声だったり……一緒に旅をした人がかわるがわるに出てきて大切なことをすぐに忘れるなんてとルークを責めた。
「ごめんなさい……」
「アナタ自分がやったことがわかってないの?」
 ティアが冷たい目で見下ろしていた。足元にはセレニアの花が揺れていた。
「ごめんなさい……俺変わるから!変わったんだ。ほらね……あの頃の馬鹿なルークとは違うんだ」
 うずくまる俺とそれを見下ろす俺がいて、うずくまる俺に石を投げつけた。
「アイツには罰を与えたんだ。ほらね!だから俺は違うよ!馬鹿なルークとは違うんだ」
 ルークは必死で石を投げつけた。石をうずくまったルークは恨みのこもった眼でルークへと投げ返し、それはルークに酷い痛みを与えた。
「お前がそんなだから!お前がいるから!みんなは怒ってたんだ……父上だって母上だって……俺はちゃんとできる。……ヴァン師匠の言う通りにする」





 声に顔を上げると父上が見下ろしていた。
「父上……」
「眠るならちゃんとベッドで眠りなさい。そんな床で眠るから魘される」
「父上!」
 どうして父上がここにいるのかわからないが、そんなことより父上が目の前にいることが嬉しくてルークの声は弾んだものとなった。クリムゾンは少し眉を顰めたように思い、ルークは慌てて立ち上がった。
「どこかまだ痛むところはあるか?何か必要なものがあれば言いなさい」
「いえ、父上のおかげで治りました。ありがとうございます」
 ルークは居住まいを正して頭をゆっくりと下げた。心遣いが嬉しい、本当は飛びついて感謝を抱きしめて表したいくらいだったがさすがにこの年でそれをするのは駄目だと言うことくらいはルークはもう理解出来ていた。昔のルークなら躊躇なく抱きつきありがとうと叫んでいただろう。そしてクリムゾンにそっけなく返されていた。
「その父上というのは……私のことかな?レプリカよ」
「はい……父上」
 ルークはその時ようやくクリムゾンが渋い表情であることに気づいた。
「これからは公爵様と呼びなさい。お前はレプリカでルークではない。私の息子ではないのだから……そのように刷り込まれていようとも訂正はできような?」
「はい……ちち……公爵様」
「お前に確認しておきたいことがある。お前はルークの代わりに死ぬために創られたのだと言ったそうだな。その気持ちは今も変わりないか?」
 クリムゾンの言葉にルークは頷いた。つい先日思い出したばかりのことだからもう忘れない。その決心でルークは強く言った。
「俺ルークの代わりをします!俺変わったんです!」
「そうか。嬉しく思うぞ。キムラスカのためにお前はきっとよい働きをしてくれるだろう。実によい心がけだ」
 クリムゾンは頬を緩めて頷いた。それがとてもルークはうれしかった。
「はい!」
 ルークの心はとても晴れやかだった。青い空は永くみていないが、クリムゾンのその笑みがまるでそれのようでルークはずっと見ていたいと思った。早くヴァン師匠が迎えに来て鉱山の街で預言を完遂したいと思った。
「早くヴァン師匠迎えに来ないかなぁ……」
 クリムゾンの表情が凍りついた。
「何を言ってる?ヴァン謡将はお前が倒したのであろう?」
 ルークは何かいけないことを言ったらしいことは理解できたが、よくわからなかった。ヴァン師匠は暗いところでルークに預言を成就しろと言っていた。ちかちかと白い光が邪魔でよく見えない。
「ごめんなさい……俺……よくわからない」
「そうかよくわからないのか……」
 酷くクリムゾンを落胆させてしまったようでルークは何度も詫びた。詫び始めるとルークを奪ったことも長い間騙していたこともアクゼリュスのことも罰をきちんと受けられず治療を受けたことも詫びなければいけないと思って何度も詫びた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい。ごめんなさい。俺ちゃんとできなくてすみません」
「もうよい」
 クリムゾンは吐き捨てるようにそう言うと部屋を足早に後にした。扉の向こうから「やはり壊れたか」と呟くのが聞こえた。
「大丈夫です俺まだできます。ちゃんとやります。あいつとは違うから!俺はあいつとは違うんです。変わったんです!父上!」
「父と呼ぶなっ!!」
 そう聞こえた後は鍵の閉まる音が響き静かになった。
「ごめんなさい……もう間違いません……許してください……俺もうルークのものを奪いません……許してッ……」
 ルークは詫びながら泣いた。




++++





+++11



 扉の開く音に反応して上げた顔、そして困惑を浮かべた瞳は私から逃げるように横を向いた。不機嫌そうな歪められた口元などはあの子なのだけれどどこか違った。
「ルーク様をお連れいたしました」
 意気揚々と言う白光騎士の言葉にシュザンヌは思わず首を傾げたくなった。この子のどこがルークだと言うのだろう。確かに紅い髪をしている。背格好も似ている。前髪を後ろに撫でつけているから違うように見えるのだろうか?話に聞いていた通りに神託の盾の制服を着て……シュザンヌはそこまで考えてから前に立つ青年に近づいた。
 覗き込んだ瞳の色は覚えているより深い碧で、意思の強そうな瞳。髪もシュザンヌと同じ深紅であった。この瞳には覚えがあった。忘れようとして封印した記憶の奥底にその記憶はあった。それはとても痛みを伴っていてシュザンヌはずっと封印していたのだ。
 だからそれには気付かないふりをした。知らないと……
「あなたはダレ?」
 シュザンヌの言葉に青年はとても辛そうに眉を寄せた。ああ……泣いてしまうわ。とシュザンヌは申し訳ない気持ちになった。
「ルーク様です。奥様」
「俺はルークじゃない……その名は棄てた。俺はアッシュだ」
 辛そうにそう青年は言い放った。その言い方はまるでルークであったようではないか。
「私のルークじゃないわ……あの子は何処にいるの?あなたもレプリカと言うモノなの?違うわね……あの子とレプリカはあんなにそっくりだったもの。あなたは……まるであなたは……まさか……」
 やはり泣きそうな青年の瞳と食いしばった唇に封印が開かれる。
 ああ、そうだ。7年も前に誘拐されて戻ってきたときにはあの子は何もかもを忘れて真っ白な赤子のようになって戻ってきた。あの時誘拐されたルークが大きくなればきっとこの青年のような凛々しい若者になっていただろう。だが、ルークはもう戻ってこないのだと……何もかもなくしたあの子の中には私のルークはもういなかったのだから。
「ルーク……記憶が戻ったの?誘拐されたときに亡くしたルークにそっくりだわ……」
 思わず漏れたシュザンヌの言葉に青年の身体が大きく揺れた。堪え切れなくなったというように、ぽろりと一滴の涙が頬を伝った。この泣き方をするのもあの子だった。我慢ばかりして最後に堪え切れなくて声もなく静かに泣く子だった。
「あのルークなの?」
 声が震えた。どういうことなのだろう。
「母上……」
 そう呼び掛けられて間違いないと感じた。そっとその頭を胸へとかき抱いた。ならばあの子は消えてしまったのかしら。この子が消えたときのように代わりにあの子がいなくなってしまったとでも言うのか?太陽のように笑って母上と呼んで慕ってくれたあの優しい子はもういないというのか?認めたくなくて問うた。
「ではあの子はどこへ?」
「レプリカはここに戻っていないのですか?」
「レプリカはここへ来ました。そしてレプリカだと私たちに告白しました。そのときに元のルークは生きていると、それで私たちは迎えをやったのです。あの子は外へ出たことはあまりなかったから迷子になってるのかと……レプリカの言う通りに神託の盾の制服を着ているあなたを見つけたわけです。でもあの子じゃない。あの子は何処に?きっと今ごろ独りで心細くて泣いているわ……あの子、虚勢を張るけど怖がりで泣き虫なのよ……」
「戻ってきたと今……」
 アッシュは困惑した様子でシュザンヌを見た。いいえとシュザンヌは首を横に振った。
「ではレプリカはどこへ?」
 レプリカは地下牢にいると聞いていたので、無意識に地下への入り口の方角へと視線が流れた。
「入れ替わったというレプリカだけが戻ってきましたのよ。あんなにそっくりなのに違うなんて……恐ろしい……」
 知らずと身体が震えた。あんなに似ているのに卑屈な表情に瞳。縋りつき寄生しようとするその魂が透けて見えるようだった。似ているだけになんとも言えない気持ちになる。
「母上……それはどういう……」
「あなたは会っていませんか?そうね会えるはずがないわね。あなた自身なのだから……でもどういうことなのかしら……あの子はもういないの?」
 口に出すと涙が溢れてきた。あの子は生きているとレプリカは言ったではないか。なのにいないなんてどういうことだろうか。確かめねばならない。
 シュザンヌは居てもたってもいられなくなって、踵を返した。
「確かめなければ、あの子は何処にいったのかを。ルーク……親善大使などさせるのではなかった。屋敷をでなければこんなことにならずに私の元にいてくれたのにっ!」
「母上っ!レプリカはここにいるのですか?」
「ええ……レプリカは。でもあの子はいないのです」
 アッシュは咄嗟に部屋を出て中庭に向かおうとしていた。あの子の部屋へと向かう一番の近道だ。
「ルークは戻っていません」
「誰があの子を殺したの?知っているなら教えてください」
 シュザンヌはアッシュへと縋った。
「レプリカは戻っていると……」
「レプリカなら地下の独房に……」






+++12



立ち止まったアッシュの表情が凍りついた。
「な、なぜ?」
「マルクトの傀儡として創られたレプリカかもしれぬと……」
「あいつはっ!何も知らないッ……もう7年もここからでたことのない真っ白なレプリカだってことをあなた方は知っていたはずだ。なぜそんな……」
 アッシュは怒りのあまりに地団駄を踏みそうになった。そんなことをしている暇はない。あのヴァンを倒した闘いから半月以上たっている。ずっと地下牢に入れられていたとしたら……
 過去の嫌な思い出がよみがえり、ぞっとした。

「7年とはどういうことですか?あれはアクゼリュスでマルクトによってつくられたレプリカなのでしょう?」
 アッシュはそういうことかと舌打ちをした。あの馬鹿は肝心なことを説明できないでいるのだ。アッシュは地下牢へと向かいながら叫んだ。
「俺のレプリカはあの馬鹿一体だけです。7年前にヴァンに誘拐されたときに創られたお人よしで馬鹿な劣化レプリカはあいつだけで充分だ」
「まさか……あの子だというのですか?でも……」
 シュザンヌがよろけたが構ってなどいられない。侍女がすかさず駆け寄っているのを視界の隅で確認しながら、アッシュは地下へと急いだ。


 薄暗い廊下に扉が並んでいる。アッシュが駆けこむと警備の者が居住まいを正した。
「レプリカはどこだ?!」
 扉を開けて中に入ると薄暗く狭い部屋の中にベッドと簡易のトイレがあった。窓もない部屋の中で少しだけ明るいところでもぞりと動くものがあった。
「レプリカ……」
 それは脅えたように震えて小さくなった。朱いヒヨコのような髪が震えている。ぶつぶつと小さな声がごめんなさいと繰り返しているのが聞こえる。
「おいっ!」
 肩に手を掛けてこちらを向かせようと力任せに引いた。
「ごめんなさいっ!ごめんなさい!ごめんなさい……っ!ヴァン師匠ヴァン師匠!ヴァン師匠どこ?!」
 こちらを見ることもなくルークは叫んだ。ちらりと見えた瞳は焦点を結んでいない。
 ぐらりと視界が回った。
 同じことが7年前にあった。同じように暗い場所で恐慌に陥り、そしてヴァンに縋った。
「レプリカッ!ヴァンはてめーがその手で倒したんだろうがっ!!しっかりしやがれっ!この屑レプリカっ!!」
 アッシュは力任せに細く軽くなったルークの身体を揺さぶった。揺さぶられることでごめんなさいと紡げなくなった唇は音を発するだけになった。アッシュは見るに耐えられなくなり思わずその身体を抱きしめた。
「ルークっ……」
「ルークがルークだなんて変なの……」
 抱きしめた拍子にのけぞった頭が天井を見上げたままで、ルークはくすりと笑った。
「気がついたか?ルーク」
「だから……ルークはお前だろアッシュ……」
 ルークはもぞもぞと動きアッシュから離れようとする。
「母上達にはもうあったのか?喜んだだろ?ずっと待ってたんだぞ……お前一体何処にいたんだよ。さっさと帰ってきたらいいのに……この放蕩息子」
 くすくすと笑い声を上げながらルークはアッシュの身体を放そうと力を入れる。
「おまえこそ……どうしてこんなことに?」
「だって……俺レプリカだぜ。やっぱりお前とそっくりな顔を殺すには忍びないみたいでさ。どうにか生きながらえさせてもらってる」
 ルークはふらふらとしながらも一人で立ち上がろうとする。
「それも今日までかな?」
 小さな声で呟いた。唇が緩く弧を描いている。静かな笑みにアッシュは息を飲んでしまった。
「お前ッ……どうして」
「青い空を見たいなぁ……それで死ぬなら鉱山の街がいいってお前から言ってくれよ」
「どうしてきちんと説明しなかった。七年前にすり替えられたのだとどうして説明しなかった。共に過ごした時間は嘘じゃないと陛下に言ったのはなんだったんだ?お前だって共に過ごした時間は嘘じゃないだろう……」
「俺、レプリカなんだ。お前の受け取るべきものを奪ったんだ……それは俺のじゃないんだろ?そう言ったのはアッシュじゃないか」
「母上はお前を探している。親善大使として出かけたお前が帰って来るのを待っているんだ」
 ルークは苦笑を浮かべ首を横に振った。
「何言ってるんだよアッシュ……お前の事を待ってるのに……レプリカは間違えちゃいけない……」
 ルークは足に力が入らないのかふらりと身体が揺れた。そのまま壁に背を付けて支えとしてやっと立っている。

「ルークなの……?」
 不意に割り込むような優しい声にルークの身体がびくりと強張った。立っていられなくなったルークは壁に背中を擦り付けたまま崩れ落ちて座りこむ。
 見上げた先にいるシュザンヌの姿を確認すると逃げるように身体をにじり小さく丸まった。
「ご……ごめんなさい……ごめんなさ……い……」
「母上……ごめんなさいっ!……許して。もうルークのものを奪わないからっ!ごめんなさいっ……」
 アッシュは同じようにしゃがむとルークを抱き寄せた。少し小さく見える身体ががたがたと震えている。何がそんなに怖いというのだろうか。




  
+++13




 地下の独房のある通路は独特な香りで充ちていて、とても嫌な感じがする場所だった。暗く陰湿でとても人が生活するような環境とは思えなかった。だから罰としてそこへ入れることに意味があるのだけれど……こんなところに半月以上も押し込めて見ないふりをしていたことを後悔した。
 扉が開いている部屋へと入った。

 思わず息を飲んでしまった。
 私の姿を見た途端にレプリカは酷く怯えて背を向けて小さくうずくまってしまった。がたがたと震えていた。最後に会った時と比べて酷く汚れて痩せ衰えていた。食事はきちんと運ばせていたはずなのにどういうことだろうか?それに衛生にも気を付けるように言い含めておいたはずなのだが……
 一度も確認をしたことはなかったが、こんな状態でこの者は死んでしまったりしないのだろうか?
「あの……」
 声をかけようとしたが、レプリカの詫びる声でそれはかき消された。狂気に満ちた詫びの言葉の繰り返しはシュザンヌに恐怖を覚えさせた。何をそんなに詫びているのか。やはりマルクトに何かキムラスカに害なすように言い含められてでもいたのだろう。
「母上……ごめんなさいっ!……許して。もうルークのものを奪わないからっ!ごめんなさいっ……」
 あの子と同じ発音で母と呼ぶのに心が揺さぶられる。思わず認めたくなくてキツイ視線でレプリカを見下ろした。その視線に怯んだ様子でレプリカは口を噤んだ。ルークのモノを奪わないから許してと詫びていたらしい。だからそのルークは何処にいるのかを教えて欲しい。
 同じようにしゃがみこんだアッシュに抱きかかえられるようにされて、レプリカはアッシュに縋りついていた。よく似た二人が並ぶ姿は双子のようにも見えた。
「全部返すからっ……!」
「あの子は今何処にいるのですか?」
 きょとんとした様子でレプリカはアッシュを見た。
「本物のルークはここに……」
「違うわっ!アクゼリュスへ行ったあの子のことです。あの子は今何処にいるのですか!マルクトに捕らわれているの?それとも本当に死んでしまったの?あの子は一体どこにっ!!」
「ははうぇ……あの、公爵夫人……?」
 レプリカは『母上』と呼び掛けて言い直し、困惑顔で見上げアッシュとシュザンヌの顔を見比べる。なんて理解が遅いのだろう。
「あなたのオリジナルです!親善の旅の途中で入れ替えられたのでしょう?」
「俺のオリジナルはアッシュです……」
「俺知らなくて……ルークだと思ってて、長い間騙してて……だからあのごめんなさい……俺知らなくて本当の子供じゃなくって……」
 レプリカは落胆したように肩を落とした。本当にごめんなさい。ともう一度言った。
「長い間……?」
「七年もルークのものを奪ってた……ごめんなさい……俺は違うんです変わったんです」
「じゃああなたはルークなの?」
 レプリカはふるふると首を横に振った。
「違うんだってごめんなさい……」
「お前はルークだ。それでいい」
「だってアッシュじゃないルーク。ルークはお前だろ?ちゃんと返すよ。知らないとはいえみんなを騙してたんだから。それはいけないことだろ?それに俺はヴァン師匠に……」
 アッシュはもういいと吐き捨ててルークの言葉を遮った。言葉を遮られたレプリカは疲れたように息をついた。眩しそうに目を細めると何度となく瞬きを繰り返した。
「ああ……なんてこと……」
 シュザンヌはわが子を抱きしめようと手を伸ばした。びくりと怯えてその身体が逃げた。縋るようにアッシュにしがみ付いている。
「ああ……なんてことを……」
 アッシュがシュザンヌに冷たい視線を投げた。レプリカを抱きあげ硬質な声で言った。
「すみません母上。ルークをここから出してやってもいいですか?」
「え?ええ……そうね……」
 どうして?あのルークがこんな怯え後ろめたいことがあるような瞳をしているのだろう。私の知っているルークはもっと無邪気でまっすぐに人を見る子だったのに。だからレプリカだと言われたときに違うのだと思った。
 こんな怯え荒んだ目をする子じゃなかったのに……ただアッシュというルークによく似た青年の腕の中では落ちついているのか、見覚えのある表情をしていた。



 湯あみをして疲れたのかベッドの中で寝息を立てるレプリカを見るとあの子だった。髪は短くやせ細っていたが、あどけない寝顔は間違いなく私の子供ルークだった。
「ルーク……」
「ああ……ルーク……私はなんという間違いを……」
 なんと言うことをしてしまったのだろう。わが子がわからないとは。思わず握りしめた手は覚えているより細くなっていた。拳は痣で酷い色をしていた。手入れがされなかっただろう指先は荒れて爪が酷く不ぞろいになって歪な形になっていた。かわいそうにとその指をそっと撫でた。
「母上……」
 隣に立つアッシュが辛そうにシュザンヌを呼んだ。
「もうこの子は私を母とは呼んでくれないのでしょうか?」
「そんなことは……」
 アッシュは困ったように唇を震わせたが、ないとは言わなかった。
「いいえ、それでもいいのです。あの子が帰ってきてくれたのですから。そしてあなたも……記憶を無くして存在しないと……もう戻ってこないと思っていたのですもの」
 シュザンヌは身体を起こし隣に立つアッシュを抱きしめた。
「とてもうれしいわ……」
「母上……」
 アッシュは気恥かしそうに視線を外した。ああ本当に昔のルークだわ。そして眠る子は私が育てた子。ベッドへと視線を降ろすとルークが嬉しそうにこちらを見ていた。シュザンヌと視線が合うと慌てて目を反らし掛布の中へと隠れてしまった。後を追うようにシュザンヌはルークの側へと寄った。
 少し見える髪を指で梳いてやり具合を尋ねた。
「ルーク!気が付きましたか?具合はどうです?どこか痛いところは?」
 少し震えていた。くぐもった声が帰って来る。
「大丈夫です……」
「そう?医者を呼んだ方がいいかしら?」
 そう言うときっとルークはその必要はないと慌てて起きだすのだ。予想通りに慌ててルークは身体を起こした。
「医者はいりませんっ!」
「そう?苦いお薬とお注射を処方してもらえばすぐによくなりますよ」
 青い顔をしてルークはぷるぷると首を横に振る。ああやはり私の子だ。
「ルーク!私の子供。こんな辛い想いをあなたにさせるなら、兄上がなんと言おうともあなたを大使などにはさせず、屋敷からださなければよかった……ごめんなさいルーク」
 シュザンヌはルークの身体を抱きしめた。
「お帰りなさいルーク」
 シュザンヌの言葉に、一瞬ルークは泣きそうに顔を歪めた。それを堪えるように俯いて絞りだすように言った。
「ルークはそっちです。公爵夫人」
 伸ばした腕の先にはアッシュが立っていた。
「いえ、いいえ、この子もルークですが、私が育てたルークはあなた。そうでしょ?間違えてしまうような私を、母とはもう呼んでくれませんか?」
 シュザンヌはルークの頭を撫でた。柔らかな髪は短くであっというまに指先をすり抜けてしまった。ふるふると震える身体は熱をもったように熱い。
「ルーク?」
「駄目です。俺……また……間違う。そんな優しいこと言わないでっ!俺は間違いを犯した。だから償わないといけないっ!同じ過ちを繰り返しちゃいけないんです。レプリカなんてこと知らなくて、我儘で傲慢で馬鹿なおぼっちゃまなニセモノルークは罪を犯した。世界にとって害でしかないあんなのいない方がいいんです」
 ルークは拳を握りしめて叫んだ。
「あんな奴死んだ方がよかったんだ。違う本当はあんな奴いなかった。誰も待ってないし誰も見てなかった。みんな昔のルーク様のほうがよかったんだから。初めからあんな奴存在してなかったんだ」
 ルークはほっとしたように自分の短くなった髪に触れた。
「俺はあんな馬鹿とは違う。変わったんだから!!だから俺はちゃんとレプリカだって知ってるし。ルークのものを奪ったりもしない。俺はレプリカだレプリカだって知ってる!ニンゲンとは違う!バケモノなんだから!優しくされる言われがない。大丈夫、俺は大丈夫だから!」
 いきなりすごい剣幕でまくし立ててルークは笑みをシュザンヌに見せた。
「ルーク……それはいったい」
「だから俺、大丈夫です。もう間違えたりしない」
 笑みが痛々しい。どういうことだとアッシュを見上げればアッシュも驚いたらしく、呆然として立ちつくしていた。
「ルーク……」
「公爵夫人が前に俺に名前を聞いてくれた時答えられなくて、あの後ずっと考えたんです。何かいい名前ないかなって……」
 申し訳なさそうにルークは言った。
「レプリカでいいんじゃないかって俺も思ったんだけど、それってもし他にイオンみたいにレプリカがいたときわかりづらいから違う方がいいだろうなって、それで俺『ナナシ』ってどうかなって思うんだけど」
 ルークは伺うように小さく息を継いだ。
「わかりやすいし。もう俺がルーク様と間違ったりしないっていう決心も込めてみたんだけど……自分で名前付けるってずうずうしいよな……」
 ルークは照れたように笑いながら言うが、名前に対するコメントがないと分かると途端に不安そうに自分の言葉を否定し始めた。そして息をついで小さく調子にのってごめんなさい。と俯いた。
 零れた涙がルークの項に落ちた。水滴に驚いてルークは顔をあげシュザンヌが泣いていることに気づき困惑し、罪の意識に駆られたように詫びた。
「ごめんなさい公爵夫人……俺黙りますから、泣かないでください」

 涙が止まらないのです。

 誰があの子を殺したの?




+++END





   
 

 たぶんいろんな話のベースの一部だと思われる話。
 大使は結局殺されてるよーな?とか思ったりしたんです。まぁ大使もルークだから死んでないけどなんかその存在を疎まれただけで結局。ルークはルークでいいんだよって言ってくれた人はイオンだけだったよね。いやガイもルークはルークだって言ってたけど。なんかちょっとニュアンスが違うような気がする。ガイだけに(笑)
 それで母上も大使の事大好きだったと思うのよーきっと大使ラブv溺愛してたと思うのらー我儘でてんで駄目な子だったかもしれないけどそんなルークを溺愛してたはず。まぁ短髪ルークが成長したルークだと思えばいいんだけど。
 子離れできない親ってことなのか?でもあえて、なんかもうちょっと大使溺愛な話を書いてみたかったの。同一人物なのはわかってるんですが!あの大使なルークの存在を愛してる人がいてるんだよって言いたかったんだけど。短髪ルークが長髪ルークの延長上にあるっていうのは理解してるんだけど、なんかルークって長髪時代を切り捨てた(まさしく髪を切り捨てた如く)だけで飲み込めてないんじゃないのかなぁって。アッシュと同じ人だよなぁってここでしみじみ思うわけなんだけど。飲み込んで栄養にしてほしいんだ。それで短髪になったんならいいんだ。
 そんなもやもやな感じを文にしたかったんだけど、解説してるし!(駄目じゃん)
 なんかやっぱり変な話になりました。

 力不足感がありありですみません。またチャレンジしたいです。





  


  
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