+++緋色の雫



+++


 ふわりと紅茶が薫る。顔を上げるとカップをそろりと運ぶルークがいた。視線があったことに口元を綻ばせたルークがアッシュの名前を弾んだ声で呼ぶ。
「紅茶飲むだろ?」
 そう言ってルークはカップをテーブルの上に置いた。褐色の液体がカップの中で円を描く。とても良い色だった。
「いただこうか」
 アッシュは読んでいた本にしおりを挟むとカップへと手を伸ばした。香りが鼻腔をくすぐり爽やかな味と香りを堪能する。
「うまいな」
「だろv」
 ルークはご満悦と言わんばかりに笑みを浮かべる。燕尾を翻し足音をさせて出口へと向かう。
「何処へ行くんだ?」
「俺の分もとってくる〜一緒に飲んでもいいだろ?」
 アッシュは手元のカップへと視線を戻した。
「先に飲んでしまった。悪い」
「それはアッシュのために入れたんだからいいんだよ。今日の午後はここで本を読んでるのか?」
「ああ……そのつもりだ」
「一緒にいてもいい?」
「かまわないが」
「やった!!」

 確かに一緒にいてもいいとは言ったが、この現状はどういうことだろうか?一緒に紅茶で喉をうるおし、アッシュは読書へと戻った。ルークはアッシュと同じソファに来ると背中から抱きついて。
 現在に至る。
「ルーク……座るならちゃんと座れ」
「やだ。アッシュがいい」
 ルークはそう言うとアッシュにしがみつく腕に力を込めた。アッシュの背には何かの妖怪のようにべったりとルークが張り付いている。
「重いのだが……」
「ごめん……でももう少しこうさせてて……あったかくて気持ちいい……」
 殊勝な声でそう言われると結果はわかっていてもアッシュも強くは断れない。ルークが寝入ってしまうまであと30秒というところか……
 アッシュは思わず溜息をついた。始めの頃はかわいいなどと思っていたこの行動も回が重なると少しうざい。慕ってくれるのはこの上なく嬉しいのだが、身体に張り付いた半身に何も感じないというわけでもない。時として首筋にかかる吐息に鼓動が早くなるのもバレバレだとかアッシュとしては些かありがたくない。
 傍にいるのはいい。
 慕っているのを実感できるのはとてもいい。
 体温が心地よく感じてしまうのは少し戴けない。

 そう言えば子供のころに使用していたクマはまだあるのだろうか?
「ルーク、大きなクマのぬいぐるみを知っているか?」
 答えの代わりに規則正しい呼吸音。予想通り寝入ってしまったらしい。さて、起きるまでどうしていようか?せめて寝顔が見られる姿勢であればよかったのにとアッシュは溜息をついた。


++++


 「子供部屋?」
「ああ……知らないのか?」
「俺、物ごころついたらあの部屋だったからあの部屋しかしらねぇ」
「そうだったのか……あれは10歳の祝いにいただく予定の部屋だったからな……完成していたのならそちらに移るのは当然か」
「そうなんだ……アッシュは小さい頃からあの部屋だったのかと思ってた。そっか……」
「俺が子供の頃に使用していたのは、母上の隣の部屋だ。中庭に面した……ここだ」
 アッシュはそういいながら廊下をすすみ、母親の部屋の一つ手前で扉に手をかけた。
「あ……ここ……」
「どうかしたのか?」
 ルークは急に足を止めて部屋へと入ろうとしない。
「入っちゃいけないとこ……」
「そうなのか?当時のままに残されていたのには驚いたが、お前の破壊行動が及ばなかったからだったのだろうか?」
 アッシュは楽しそうに笑っていった。当然からかいであることがわかっているルークは拗ねて見せる。
「そうじゃなくって……昔。俺ここお気に入りでこっそり隠れるのに使ってたことがあるんだ。ガイやメイドはこの部屋には滅多に入らねぇから隠れるのにちょうどよくってさ……でも」
 ルークは一歩部屋へ入る。丁度アッシュがカーテンを引き、窓から差し込む光にルークは目を細めた。
「父上が泣いてたんだ……」
「父上が?!」
 アッシュの驚愕を受けてルークはやっぱり驚くよなと笑った。
「俺も信じられなかった……」
 ルークは机に視線を落として天板を見ろした。
「今思えばあれはお前に話してたんだな……俺見ちゃいけないものを見たような気がして、それっきりこの部屋には入らなかった」


+++++




+++


 新しく見つけた秘密基地はとても具合がよかった。調度品はルークの背丈にあいメイドもガイもあまり近寄らない。
 その中でも透かし彫りの入ったクローゼットがとてもルークは気に入っていた。中に入ると大きなふかふかのクマがあった。抱きしめているととても落ちついた。自室のベッドよりもずっと具合がよかった。身体に馴染む大きさと手触りとそして香り。
 うす暗いクローゼットの中は小さなルークを包みこむ大きさで、花の透かし彫りの隙間から星のような光が差し込み幻想的な雰囲気を醸し出す。ルークはお気に入りの昼寝用ケープと絵本を持ち込みクマに抱かれる。
 扉の開く音にルークは隙間から外を伺った。クリムゾンが部屋の中を見回していた。重厚な机の前に来ると天板を指で撫でた。
「ルーク……」
「ルーク……あれほど厳しくしたことも預言の前ではすべて徒労に終わった。預言に打ち勝つ力となれと願い苦しく辛い思いをさせてまで身に着けさせたことがすべて無に帰するとは……預言とはなんと恐ろしいものであろうか……」
 クリムゾンの拳を握りしめた腕が震えていた。
「知識があれば窮地を切り抜けられると思ったことが過ちか!」
「超振動の制御ができれば息子が助かるやも知れぬと思ったことが過ちかっ……」
 クリムゾンの拳が天板を叩く。
「もう私は……お前の好きにさせてやることしかできぬ。子すら守れぬとは……何が元帥かっ……」
 クリムゾンは頭を振った。
「許せルーク……」
 クリムゾンの頬を雫が伝う。

 目が離せずにそれを見ていた。クマを抱きしめている腕が震えているのはなぜかルークには解らない。父クリムゾンの言葉はルークには難解で理解できないが見てはいけない物を見てしまったという認識はあった。
 しばらくして父は涙を拭うと何事もないようにそっと部屋を出ていった。ルークは己の名前が呼ばれていることは理解した。怒りと悲しみを向けられたことに戸惑い理由が理解できない故の不安。あまり笑みを向けられたことのない父。いらない子だと言われていたらどうしようとルークは怖くなった。
 クローゼットから転がりでるとまとわりつくケープを押し込み扉を閉めた。

 面と向かってあの感情を向けられたらどうしていいのかわからない恐怖に、二度と父の秘密の部屋にルークは近づかなかった。

 お互いに接触を持つこともないまま時間だけが過ぎ、父クリムゾンはルークの中で忌諱するものと刷り込まれた。


++++






++++


 クローゼットを開くとくしゃくしゃに押し込まれたままのケープと開いたままの絵本が転がり出てきた。絵本は他にも数冊奥に積まれていた。
「あっ……これなくなったと思ってたのだ」
 ルークが懐かしそうに転がり出てきた絵本を手に取った。ぱらりとめくった頁には綺麗な絵と大きな文字で単語が数個並んでいる。
「懐かしいなぁ……うへ、こんな簡単なのが読めなかったのか……」
 苦笑しながらルークはクローゼットの奥を覗き込む。大きなクマのぬいぐるみが変わらずにそこにあった。ルークの目が優しく細められた。
「今思えば、父上が俺達のために出来る限りのことをしてくれたってことだったんだよな……今気づいた。もっと早く気付いてたらアッシュにも早くに伝えられたのに……わりぃ……」
 ルークは居心地悪そうにもじもじとしながらしんみりと言った。アッシュがルークの腕を引いた。
「おわっ!悪かったって……当時はまだ難しい言葉は全然理解できなくって……そのあとは怖くて思いださないようにしてたし……父上は俺の事好きじゃないって思ってたし……」
「来い」
 アッシュはそのまま腕を引いて子供部屋をでた。
「何処行くんだよっ!」
 アッシュは答えずに腕を握る力を強めた。大股で歩くアッシュに引きずられるようにしてルークは廊下を進む。敬礼を返す白光騎士にもわき目を振らずアッシュはどんどん歩いていく。
 絨毯の色が代わりルークにもその行く先の検討がついた。
「執務室になんのようだよ。今、父上はお仕事だぞ」
 ルークの抵抗が強くなりアッシュも歩みを緩めた。
「邪魔しちゃいけないんだぞ」
 なおも言いつのり抵抗をしようとするルークにアッシュは向き直り、構わないと一言だけ言うとまた腕を引いた。
「父上は構うんじゃね?」
「黙ってついてこい。屑がっ!!」
 静かな廊下にアッシュの怒鳴り声が響いた。がしゃりと白光騎士の鎧が音を立てた。バツが悪そうにアッシュが咳払いをし、また歩き始めた。ルークも大人しく腕に引かれるまま執務室の前までついていく。
「アッシュ……」
 入口で不安になって名を呼ぶ。アッシュは落ち付けと言わんばかりに、ルークの手を握りしめる。その反対の手でノックするのを忘れない。
「入れ」
 低い父の声がする。ルークは鼓動が速くなるのを感じた。
「アッシュ……」
 入り口で躊躇するルークをアッシュは強引に連れて入る。
「どうした?」
 執務室に来るなど珍しい二人にクリムゾンは手を止めた。そこで初めてアッシュが躊躇し、ルークを掴む手に力がこもった。
「あ……その……」
「どうかしたのか?」
 クリムゾンはアッシュが口ごもり視線を彷徨わせたのに対して理由を尋ねるように隣に立つルークに視線を映した。尋ねられても強引に連れてこられたルークにも用はわからずに首を傾げる。
 クリムゾンは力を抜いた笑みを漏らした。
「まぁよい。調度休憩を取ろうと思っていたところだ。一緒に茶でも飲むか?」
 クリムゾンが机の隅にあったベルへと手を伸ばした。
「父上俺が入れます!!」
 ルークが張り切った様子で茶器ののったワゴンへと駆け寄った。
「そうか……ではお願いしよう」
 クリムゾンはそういうと席を立ち、ソファへと足を進めた。
「アッシュも座りなさい」
 アッシュは素直に進められるままソファに歩み寄った。
「実は……先程ルークから昔の話を聞きました。それで父上に改めてお礼を言うべきだと思いそれとお願いしたいことがありお邪魔だとはわかっていましたが、参りました」
「礼?」
 クリムゾンはわからないと言う風に眉を寄せた。
「あの、俺に出来る限りの教育と生きるすべを叩きこんでくださりありがとうございました。そのおかげで俺は今生きております」
 アッシュは頭を深々と下げた。
「そうか……わかってくれていたのなら私も厳しくしたかいがあった。よくぞ耐え生きぬいてくれた。私こそ礼を言うべきかもしれぬな」
 クリムゾンは立ち上がりアッシュの肩を叩いた。
「父上……」
「座りなさい」
 アッシュは促されるままソファに腰掛けた。
「そうか……わかってくれていたか」
 クリムゾンは満足そうに笑みを浮かべた。
「先程ルークに話を聞いて知ったのです。自身で父上の深いお心を察するにはまだ至りません。申し訳ありません」
「ルークの話?」
「ええ、昔の話を……それで父上に」
 盆に茶器を乗せてルークがそろそろと歩み寄って来る。
「お茶を入れた」
 ルークはカップを配膳するとアッシュの横に座った。何の話をしているのだ?とルークはアッシュに視線で問う。
「それで……父上にルークを一度抱きしめてやっていただけないかと」
「は?!!」
 ルークは驚いて立ち上がる。
「なんでそんな話になってるんだよっ!!」
 ルークはクリムゾンをちらりとみやるとすぐに視線を外した。アッシュに食ってかかるルークのその耳は朱にそまっている。
「しかし……お前は未だに父上に対しての態度がどことなくぎこちない。その理由が先程の話にあると言うのならそれは誤解であったことを理解しているのだろう?」
「だからって!なんっでっ!!だ、抱きしめてもらうとかっ!!」
「和解にはそれが一番わかりやすくて手っ取り早いと思ったのだが?」
「和解してる!そんなの必要ないっです……よね?父上」
 立ち上がりルークを見下ろしていた父にルークは叫んでから気がついた。
「誤解とはなんの話だ?ルーク」
「いや……あの……それは……」
 ルークは口ごもり、俯き隣に座っているアッシュを睨んだ。
「抱きしめてもらえ、そうすればいくら馬鹿なお前でも納得できるだろうよ……」
 アッシュはそう言うとカップを手に取り、一口紅茶を飲んだ。
「うむ。話が些かよくわからぬが、ルークにそれが必要だというのならば試してみるもよかろう」
 クリムゾンは逃げ道を探すように立ったままうろたえているルークへと歩み寄った。
「父上……」
 クリムゾンは俯いたままのルークの頭に手を乗せ数度弾ませた。そのまま掌を引き寄せてルークの頭を胸へと押し当てた。不意をつかれた格好でルークの重心がクリムゾンへと掛る。
「何をそのように不安そうにしているのだ?」
 クリムゾンはルークの背中を大きな掌で落ちつかせるように叩いた。
「父……上……」
「大きくなったように見えていても子供は子供だということか」
 クリムゾンが楽しげに声を上げて笑った。ルークは緊張のあまりに硬直した腕をそっとその背に回した。
「俺……いい子供に慣れなくてごめんなさい……」
「お前たちほど素晴らしい子供は何処を探してもおらぬ」
 ルークはクリムゾンを咄嗟に見上げる。クリムゾンは愉快そうに笑みを浮かべてルークを見下ろしていた。
「アッシュのことじゃなくって?」
「ははは……お前たち二人ともだ。私こそ父としては少し不出来な父親であったな」
「そ、そんなこと……ない」
 ルークは恥ずかしそうに頬を染めて俯いた。
「ありがとうございます。父上」

 扉がノックされてラムダスが来客を知らせる。
「ルーク落ちついたか?」
「はい!ありがとうございました」
 ルークは晴れやかな笑みでクリムゾンから離れた。
「アッシュこれでよいのか?」
「ありがとうございます。父上。では失礼します」
 アッシュはぼんやりとして立っているルークの腕を引いて執務室をあとにした。




++++
 



++++


「父上……おれのこといい子だって……」
 しまりのない顔を晒してルークは廊下を歩きながら何度も呟いている。
「調子に乗るなっ!屑が……」
「なんだよそれ……心配しなくてもアッシュもいい子だって父上は言ってたぞ!アッシュもぎゅっとしてもらうの忘れた!!」
 アッシュが呆れた表情でルークを振りかえった。
「何馬鹿なこといってるんだ……屑。だいたい俺がいつそんなこと心配した?!」
「なんだよっ!気を使ったのにっ!」
 廊下を歩きながら二人は言い争う。

「あれ……?そういえばなんで子供部屋に行ったんだっけ?」
「お前にぬいぐるみを取りに行くためだ」
 そういいながらも二人は子供部屋への廊下を進んでいる。
「ぬいぐるみ?あ〜『あーちゃん』な」
「あーちゃん?」
「おう!まだ当時楽に発音できるのがそれくらいだったから『あーちゃん』。それが俺にってどういうことだよ?」
 扉をあけると二人が出ていったままになっており、床にクマのぬいぐるみが転がっていた。アッシュはそれを取り上げるとルークへとぶっきらぼうに差し出した。
「ぜんぜんかわってな……いけど、うおっ……ちょっと埃くさい」
 ルークはクマを抱きしめて顔をその腹へと押しつけたがすぐに離す。少し首を傾げて残念そうにそっともう一度顔を近づけたがアッシュの声に顔を上げた。
「お前が重いからな。代わりにぬいぐるみでも抱いておけばいいとおもったんだよ」
「えーアッシュがいい」
 ルークはクマを抱いたままアッシュへと抱きついた。勢いが余って二人は近くにソファに転がり落ちた。
「重いんだよっ!」
 アッシュはそういいながらも肩に頭を凭れるルークを優しい瞳で見つめる。
「クマ少し汚れているな。洗うか?」
「ヤダ…匂いが消えるじゃん……」
「匂い?」
「落ちつく匂いがするんだよ。だから洗っちゃだめだ」
 そう言いルークはぬいぐるみに顔を寄せた。
「ほこり臭いってさっき言ってただろうが」
「そうなんだけど……今はやっぱりいい匂いしてるし……って、あれ……これって?」
 ルークはアッシュへと鼻を近づけて呼吸を繰り返す。
「気持ち悪いことをするなっ!屑がっ!!」
「もしかしてアッシュの……」
 ルークがしまりのない笑みでぎゅっとぬいぐるみごとアッシュを抱きしめた。
「これ……昔アッシュも使ってた?」
「ああ……小さい頃に……生まれた時から一緒にいたという話だ」
 少し恥ずかしいと頬が赤くなったアッシュは他人事のように言う。ルークは満足したようにへらりと笑みを浮かべた。
「アッシュの匂いだったんだ……」
 ルークはアッシュの胸元に顔を寄せて深呼吸をする。手はクマの手触りを楽しんでいる。
「これ落ちつくんだよなぁ」
 うっとりと眼を細めるルークにアッシュは溜息をついた。アッシュはルークとクマを抱き込んだ。陽だまりが心地いい子供部屋でルークが寝入ってしまうまでにあと10秒。



+++END++++



クリムゾンが俺の愛を聞け―っていうるさいので書いた。ファブレ家の一コマ的なもの。






inserted by FC2 system