■■最新更新分■■


+++誰も触れてはならぬ  続 11-  (アシュ←ルク)





++++11




 壊れてく……壊れて……る?……

 頭の中は『壊れてく』ということでいっぱいだった。覚えておくための方法もアッシュの協力が得られないことが分かった。とたんにルークの体は頭痛がし、あの『壊れる』ときと同じような感覚に陥った。自分が自分でないような膜の向こうにいるようなそんな感覚。今日は身体が勝手に動くなんてことは起きなかったのは幸いだった。アッシュの前でそんなことになっていればルークは立ち直れないところだった。
 せっかくアッシュが部屋にいてもいいと慰めてくれたのに、恐ろしくて頷くことができなかった。覚えているためにはアッシュの近くにいるほうがいいのだろうが、もしまた勝手に身体が動いてアッシュに何かあれば……いや、それ以上にそんな自分をアッシュに見られてしまうのが恐ろしかった。
 アッシュに呆れられていないだろうか……

 明日にはきっといつもに戻っていられる。そうすればアッシュと一緒に過ごせる朝が来る。

 隣の部屋から戻ると酷く身体が疲れていた。ルークはベッドに倒れ込むと本当は本を読みなおしアッシュの言っているルークの知っている言葉との齟齬がどこにあるのかを見つけだすつもりだったのだが、倒れ込んだ身体は起き上がれそうになかった。
 じわりと涙が滲み目が熱くなった。
 アッシュに拒否されるなど全く考えてなかったのだ。今頃はアッシュの腕の中でぬくぬくとして包まれてアッシュに満たされているはずだったのだ。ルークの甘い考えが今の事態を引き起こしているのに、その後悔の涙というより酷い喪失感でルークは涙が止まらなかった。
 アッシュに抱きしめられた暖かさを思い出してルークは自分を抱きしめた。冷やりとして冷たい。重い腕を動かして掛布を手繰り寄せてなんとか包まる。はみ出てしまっている個所が冷たいがもう動く気になれなかった。もう明日からはあの暖かさも逞しい胸にも触れることができないかもしれない。大事に大事に思い出してルークの中に留まらせねばならない。ルークは宝物を抱えるように丸くなった。
 次から次へと流れてくる生ぬるい水はシーツを濡らした。どうやれば止まるのかも思いつかない。アッシュに触れていたいなんてどうして思ってしまったのだろう。今持っているものだけで満足しなかった罰なのだ。
 壊れてしまう。

 そして今持っているアッシュへの思いも思い出も何もかも消えてしまうのだ。それは明日かもしれないし、もっと先のことかもしれない。
 忘れたくなかった。

 忘れない方法……枕の下に隠した本。ルークは手探りでそれを探した。小さなその本に指が触れて少し気持ちが落ち着いた。ルークにはもう使えない方法だけどきっとアッシュを思って見てるだけでも少しくらいは効果があるかもしれない。
 最後の望み


 アッシュはきっと優しいからルークが求めればきっと応じてくれるだろう。だが、それはさすがにルークでももう求めることは躊躇われる。違うのだという。ルークの言うそれとアッシュの知っているそれとは……

 せめて見るくらいは許されるのではないだろうか?
 明日からもアッシュを見つめて、ずっと見つめて忘れないように……アッシュが抱きしめてくれたことを繰り返し思い出してそれに包まれて時間を過ごす。そうやってきっと最後までアッシュのことを思っていればきっと壊れてもまたアッシュに巡りあってまた同じように見つめていられる。

「やっぱり……触れられないじゃん……」

 ルークは思わずくすりと笑った。『触れてはならぬ』はやはり触れられないのだ。それでもいい。アッシュを忘れないでいられるのならそれでも構わなかった。アッシュの名前を繰り返して何度も思い出す。忘れないように……



 「ルーク?朝だぞ」
 遠くでアッシュの声が聞こえる。明るいことはわかるのだが、目が開けられない。身体が重い……アッシュが昨日のことに呆れずに今朝も起こしに来てくれたことがとてもうれしくて飛び起きて感謝を伝えたいのにどういうわけか頭が、身体も重い。思うように動かない。声もでない。

 やはり……もう……壊れ始めたのかもしれない。

 いや、まだ自分の意思て動ける。ゆっくりだけどどこか幕の向こうに世界があるようなそんな感じだけれど、ようやくあけた視界は狭くて濁っているがアッシュがいるのがわかった。
「ア……アッ……シュ」
 声だってようやくという感じでしわがれて酷いものだったが、なんとかルークの意思で出すことができた。まだ完全に壊れているわけではなさそうだ。残り時間はとても少なそうだが。アッシュを少しでも見ていたかった。ぼんやりとアッシュを見つめているとますますアッシュは笑った後に態と呆れたような表情を浮かべた。
「ほら起きろ。朝食が冷めてしまうぞ」
 のぞきこんだアッシュがルークの着替えを取りにその場を離れていく。もっとアッシュを見ていたいのにと残念に思いながらも。次第にルークの意識下に戻ってきた身体を動かす。やはりどこか油の切れた機械のようにギシギシとして重くて動きづらい。壊れかけのレプリカも音機関のように壊れて行くのだなぁと変な感慨を持ちながらもルークは身体を起こそうと身じろぎをした。ガイがいれば音機関のように油でも射してもらえたのに、痛む間接とか……首も、頭も……そんなどうでもいいことが何度も頭に浮かんでは消える。
「ほら、いつまでも……」
 アッシュがいつもの調子でルークを叱咤しながら近づいていくる。起き上がろうと両手をついたために視界がベッドとシーツなのが残念だった。アッシュが見えない。アッシュを一秒でも多く見ていたいのに。
 ルークは懸命にアッシュを見ようと重たい身体を起こして座った。

「ルーク?」
 アッシュが怪訝そうな声で見ていた。壊れて行くことがばれてしまったかもしれない。大丈夫だと言いたいが息が熱くて思うように言葉にならない。ぐらりと傾ぎ始めた身体を支えられずにベッドから落ちた。ふわりとアッシュの腕に抱きとめられ、た。もう二度とないと思ったアッシュの腕の中にいられることに、ルークは不謹慎にもその幸運を喜んだ。
 しかしルークの気持ちとは裏腹に、咄嗟に堅く強張ったアッシュの体にルークは苦笑する。『触れてはならぬ』だもんな……
「ア、あっしゅ……ご、めん……な。だ、だいじょう……ぶ」
 ルークはよろよろと立ちあがりアッシュから離れようと腕を突っ張った。触れられて喜んで相手に緊張を強いてる。それは今までに慣れた反応だ。慌てて離れて触れないようにしなくては……これからはまた手袋をした方がいいかもしれない。

 思わず漏れた溜息が熱かった……。

 壊れる……。その時が近い。




++++








++++12




 空がようやく白み始めた。
 眠れないままに日の出を迎えてしまった。日の出を待ちかねたようにアッシュは物音を立てずに部屋を出ると裏庭へと向かった。今は誰にも会いたくはなかった。屋敷の裏にも庭園がありその奥には林が広がっている。そこで素振りでもして気持ちを落ち着けなければ、ルークと食事などできそうにもなかった。昨夜のルークの姿を思い出しただけで口元が緩む。頬を手のひらで打ち気合いを入れる。ああ、本当に良く耐えた。
 ルークの部屋の窓の方角を思わず見てしまう。まだ窓は閉まっており、カーテンもしっかりとかかっている。こんな早朝に起きている方がおかしいのだが、そこにルークの姿が見えないことが残念に感じた。ルークの部屋の裏には、植えられた木に隠されるように小さな東屋があることに気付いた。花が綺麗に咲き誇る植え込みに面してその東屋はあるのに屋敷からは隠されるようにされている。
 人影が動き潜められた声が聞こえた。メイドが逢引でもしているのだろうか?アッシュは行き合わぬようにとそっと離れようとする。朝の静けさのなか潜められた声でもあたりに響く。
「見つからないのならもう処分されちゃったのよ。諦めなさい」
「だって……サイン入りなのよあの本」
「ここはルーク様専用の東屋なのよ。こんなうろうろしているところ見つかったら処罰ものよ。それなのにどうしてそんな破廉恥な本を……もし、ルーク様の目にでも止まってたらどうするのよ」
「破廉恥じゃないわよ。ロマンス小説と言ってよ」
「破廉恥じゃない。ああ……もうルーク様のお目汚ししてないことを祈るしかないわ」
「庭師は知らないって言ってたのよ。捨てられてないはずなのよ。どこかに落ちてるはず……そんなこと言ってないで探してよ」

 あの隠されるようにある東屋はルーク専用の東屋だったのかとアッシュは思いながらそっとその場を離れ林へと分け入った。どうやらメイドはルーク専用とは知らずに東屋を利用し本を置き忘れたらしい。ファブレのメイドにしてはそそっかしい者もいたものだ。アッシュはそんなことを思いながら人目に着かぬ場所を選び素振りをした。


 


 汗を流した後に食事のためにルークの部屋との間にある食堂へと入るが、まだルークは来ていなかった。アッシュは深呼吸をして己に平常心と言い聞かせてルークを起こす為に部屋へと入った。
「ルーク、朝だぞ」
 声を掛けながら窓とカーテンを開けて空気を入れ替えてやる。今日はさすがに寝ている顔を見て平常心を保てる自信が持てずにすぐに窓へと向かった。ルークの反応は相変わらずない。
「ルーク」
 昨夜のことがあるからルークも何らかの緊張感を持っているのではないかと思っていたが、朝に関していえばなかったらしい。アッシュは仕方ないとルークを起こしてやろうとベッドの脇に立った。ルークは布団の中に入ることなく。ベッドの上に倒れ込んだような姿勢で掛布を手繰り寄せて包まって寝ている。掛布から出た身体は昨夜のまま上半身は何も着ていなかった。
「ルーク……」
 目のやり場に困りながらアッシュはルークに声をかける。シーツの影から覗いた目元が紅く腫れていた。泣きながら眠っていたらしい。痛々しい……気の毒なことをした。やはり部屋で共に居てやるべきだった。ゆっくりと震える瞼が上がり、ぼんやりとした瞳でアッシュをとらえてルークの表情が緩んだ。
 意識の覚醒を確認すれば、瞼の腫れた顔をいつまでも見ているのは失礼だろうとアッシュはルークの着替えをクローゼットルームへと取りに行く。
「ほら起きろ。朝食が冷めてしまうぞ」
 今日の服の希望を聞くも返答はない。まだ完全には目覚めていないようだが、のろのろと起き上がろうとするルークの気配がしている。気恥ずかしさをごまかす様にルークを叱責しながら部屋に戻る。
「いつまでも……」
 着替えを手に部屋に戻ってもルークは身体を起こしたままぼんやりとベッドを見つめて座り込んでいる。

 どこか様子がおかしいことに気付いた。

 ルークと呼びかけ近づこうとしたときにルークがベッドから降りようとしたのかそのまま身体が傾いで倒れ込んだ。アッシュは咄嗟に駆け寄りルークの体を抱きとめた。触れた肌触りに一晩の煩悶が蘇り、アッシュの身体が緊張した。
 しかし昨夜の冷えた身体と違い、触れた身体が熱い。力なく頼りない身体はふにゃりとしてどこか軟体生物のようだった。声は苦しげでようやく絞り出しているようで、それでもルークは大丈夫だと一人で立ち上がろうとよろめいていた。アッシュから離れようとアッシュを突き放すしぐさをする。
 やはり泣きはらした瞼は腫れて痛々しい。きっと昨夜は一人で泣いていたのだろう。紅く腫れた目の周りも頬も唇も痛々しい。絡んで縺れた髪が一晩で艶をなくしていた。手入れしてやらねば……そんなどうでもいいことを思って思わず手を伸ばしそうになった。
「だ、いじょ……うぶ……」
 かすれた声でそう言ってルークはアッシュを突き放す。
 「ルーク……お前……」
 なんでもないと絞り出すように言うとルークはよろよろと身支度を整えようとする。
「具合が悪いなら寝ていろ」
 とりあえず何かを着させてベッドの中へと寝かしつけねばならない。持ってきていた着替えはキャンセルだ。新しい夜着を用意しなければならないだろう。大丈夫といいながらもルークはぼんやりと立ちつくしたままだ。思考がろくにできていない証拠だ。アッシュはルークの腕をひいてベッドへと誘導する。掛毛布との間にルークを座らせて横になるように肩を押した。
「アッシュ?お、れ……だ、大丈夫だよ……こ、われてないよ……」
 ルークは子供がぐずるように首を横にしてぼそぼそと呟く。
「いいから横になれ……熱が出ている」
「ねつ?」
 ぼんやりとしたままルークはアッシュの言葉をオウム返しに繰り返す。
「やはり濡れたのがよくなかったのだろう。そのまま寝てしまったのか?そんなことをするから風邪をひくのだ。今日は一日ベッドの中にいろ」
 うっすらと開かれた目は縋るようにアッシュを追っている。
「薬を飲んだ方が楽になる医者を呼んだほうがいいな」
 アッシュはルークに布団を肩までしっかりとかけてやると安心させるために手のひらで叩き、ぽんとリズムを刻んだ。
「アッシュ……」

「おれ……壊れてる……?」
 不安そうにルークはアッシュの服を裾をつかんで尋ねた。
「大丈夫だ。このくらいは……暖かくして、寝ていればすぐに治る……」
 苦笑が漏れるほどに怯えているルークの髪を撫で、顔を寄せて宥めてやる。ただの風邪だろうと思われるのに死ぬなどと不安になっているほど辛いのだろう。早く医者を呼ぼうと枕元を離れようとしてもルークは手を離さない。睡魔を堪え、つらそうにしていながらもアッシュをずっと見つめている。
「ルーク……医者を呼びに行きたいのだが?」
「駄目……アッシュのことずっと見てたい。最後までずっと見ていたいんだ」
「医者を呼んできたら今日は一日ついててやる。だから……」
 アッシュはルークの瞼の上に手をかざし視界を遮った。暗くしてやれば目を閉じるしかなくそのままルークは眠りに吸い込まれるように意識をなくした。




++++








++++13




 アッシュの服の裾を堅く握った指がとても愛おしくて、離れがたくしばらくアッシュはルークを見つめていた。とはいえ発熱で苦しげな息をするルークをそのまま見つめているわけにもいかない。指を一本一本とほどいてアッシュはルークのもとを離れた。
 メイドに医者の手配と看病に必要なものを用意するように伝える。

 ルークの部屋に急ぎ戻るも落ち着かない。椅子を枕元へと引き寄せてルークを覗き込んでいるしかできないでいる。触れて安心させてやりたいと思うもののせっかくの眠りを妨げはしないかと思いアッシュは伸ばした手を引き戻した。
 苦しげな息を浅く繰り返しているルークがかわいそうだ。医者はまだ来ないのか?

 ルークの枕元にらしくない表紙の本が一冊転がっていた。このような本もルークは読むのかとアッシュはその本を手に取った。ナタリアなどが好みそうな時代がかった女性の絵が華麗に表紙を飾っている。ローレライ教団の施設などでも女性はこのような本を好んでいたように記憶している。アッシュが偶然その場に居合わせ、目にしたときは恥ずかしそうに隠されたりしたものだ。だから男は読まないというか読むべきではない物なのだろうとアッシュは理解していたのだが、ルークが読んでいるとなるとアッシュも興味が引かれた。
 ルークが目覚めるまでは暇潰しくらいにはなるかも知れない。とりあえずどんなものなのかと頁をめくった。扉に見知らぬ女性の名前に宛てて作者のサインが入っていた。
 目が文字の上を上滑りする。アッシュはきっとそのうちに何かルークの心の琴線に触れたものがあるのだろうと頁を繰っていく。記憶をなくした女性が恋人と再会し寄りを戻す話らしい。アッシュはなんとなく昨日のルークの言動の元がこれにあるような気がした。全編に渡りふんだんに盛り込まれた性描写は昨夜のルークの行動を思い出させた。愛を滔々と語り始める下りに来てアッシュは思わず本を閉じた。思わず大きく息をついた。なぜかとても疲れていた。
 たぶんルークはこの本を読んで行動を起こしたのだろう。だが、なぜ?記憶をなくした女性とルークとは共通するところがない。アッシュがルークを大切に思っていることが通じていなかったのだろうか?それで不安にさせていたというのだろうか?それはそれで少し切ない。
 こんなにルークを思っているのに少しも届いていないと思い知らされる。

 さて、どうするべきか?
 アッシュはルークの枕元に本を戻した。

 ノック音にアッシュは慌てて入室を許可しメイドと医師を迎えた。
 医師の診断はやはり風邪だということだった。食後の薬が処方された。メイドが薬や介護に必要だと思われるものを乗せたワゴンに消化のよいスープを置く。
「アッシュ様。ルーク様は朝食はお召し上がりになられましたでしょうか?」
「いや、まだだ。起きたときにはこの状態だったからな。後で目を覚ませばそれを食べさせて薬を飲ませておこう」
 メイドはこくりと頷いた。アッシュが食事をしている間はルークの横に着いていようとメイドが気を利かせるが、アッシュはそれを断った。メイドはルークの枕元にある本をみて表情を強張らせた。そういえばこの者は朝に東屋で見かけた者だ。
「その本はルークの物ではなかったのか……」
 思わず漏れた言葉にメイドは怯えたように硬直した。
「どうやらルークが見つけて興味を持ったらしい。持ち主が探していたと伝えておこう」
 メイドはめっそうもないと言うように首を横に振った。
「まさか……ルーク様はこれをお読みに……?」
「さぁわからないが、読むために本はあるのだから読むつもりだと思うが?」
 メイドの顔から血の気が引いた。よほど後ろめたいものらしい。アッシュは先ほどちらりと見た内容を思い出してさもあらんと少し気の毒になった。アッシュとてルークにはあまり見せたいと思うものではなかったが、すでに読んで影響を受けているらしいのでいまさらである。
「勝手に取り上げてしまうわけにもいかないので、治ってから伝えておく」
 それで引き揚げろとアッシュは見えるところにあった本を手に取り、サイドテーブルの引き出しへと仕舞った。これで他には目に着くこともないだろう。メイドは顔色が悪いまま小さくはいと答え引き上げて行った。
 扉が閉まる音を聞いて人の気配が消えてから思わずアッシュは一人笑った。全くとんだ人騒がせな本だ。




 ルークは虚ろな目で部屋を見回して何かを探している。
「アッシュ?……アッシュ……?」
 かすれて小さな声で呼ぶのでアッシュは慌てて答えた。
「どうした?ここにいる。何か必要なものがあれば持ってこよう」
 アッシュはベッドへと駆け寄るとルークを覗き込んだ。アッシュが視界に入るとルークはホッとしたように表情を和らげた。ルークはそれ以上は何のアクションも起こさずに満足そうにアッシュを見上げている。
「何か食べられそうか?」
 ルークはいらないと首を横に振った。
「それなら何か少し冷たいものでも飲むのはどうだ?」
 ルークはしばらく思案してからこくりと頷いた。身体を起こそうと身じろぎをする。
「無理をするな起こしてやろう」
 アッシュはルークの背に腕を入れて上半身を抱え起こした。背中にクッションを差し入れることも忘れない。ルークを座らせるとアッシュはワゴンの上に置かれた特製ドリンクを取った。手渡そうとルークを見るとルークは疲れた顔をしているが、気にもかけてない様子でじっとアッシュを見つめている。ドリンクの入ったグラスをルークに持たせた。ルークはそうしている間もグラスを一度も見ることなくアッシュを見つめいる。かすれた声でありがとうと言うとグラスに口をつけた。
 喉が渇いていたのだろう、少し口に含んだ後グラスの半分ほどを飲みルークはホッとしたように息をついた。
「スープもあるが飲んでみるか?薬を飲めたら少し楽になると思うのだが……」
 まだふらふらと上体をさせているルークからアッシュは零す前にグラスを受け取った。ルークはぼんやりとアッシュを見上げている。
「また逢えたらぎゅってしてくれる?なんにもわかんなくなってる俺でもまたしてくれる?」
 ルークと呼びかけようとしたときルークがふいに小さな声で呟いた。
「ハグをしてほしいのか?」
 ルークはハグ?と首を傾げた。
「抱きしめることだ」
 ルークは嬉しそうにこくりと頷いた。アッシュは抱きしめてやろうとベッドに座りルークの肩へと腕を回した。肩に頭を乗せたルークが言う。
「俺が壊れちゃってもアッシュと一緒にいたいんだ……」
「壊れる?」
 アッシュが聞きかえしたが、ルークはアッシュへと凭れかかり己の胸元へと手を当てていた。
「忘れたくないんだ。アッシュが大事だって一緒にいたいって思うこの気持ち……」
 肩に重みと熱が掛る。
「ルーク……それは……?」
 ルークはまた眠りに落ちていた。




++++








++++14




  どういう意味なのだ?
 アッシュの問いは宙に消えてルークからの返答は得られなかった。そのまま眠り続けたルークは一日経つとそこそこ体調も良くなった。しかし、心配性な屋敷の者とアッシュによって翌日もルークはベッドの住人だった。
「あの……アッシュ、俺もう元気なんだけど?」
「駄目だ。今日一日はベッドで大人しくしておけ」
 アッシュはベッドから起き上がろうとするルークを寝かしつけた。
「寝てばかりだと背中が痛くなる……」
 アッシュはそう言われて仕方なくベッドの上でなら座っていることを許した。背もたれにしたクッションに凭れかかってルークは指や腕が自由に動くことを確認するように曲げて伸ばし嬉しそうな顔をする。
「どうした?間接が痛むのか?」
 熱が酷いと間接が痛むときがある。もしやまだ熱があり痛むのかとアッシュは心配になった。ルークは首を横に振り、違うと嬉しそうに笑った。
「まだちゃんと動くなって……なんでもないっ!」
「?」
 アッシュの視線に気付いてルークは慌てて両手を隠して俯いた。子供じみた隠しごとの仕草、ばればれすぎる。隠しごとがあるということを隠そうとする笑顔。
「ルーク」
 隠しごとはするなと言ったところで素直に聞くわけがないことを短いつきあいだが、アッシュも理解している。
「熱で間接が痛むのなら薬を処方してもらわねばならない。そういう嘘は病を長引かせるだけだ」
 心配しているということを素直に伝え、嘘はためにならないと教える。
「心配させてごめん。でも本当に痛いとかじゃないんだ」
「そうか……何か他にも気になることがあれば言ってくれ」
「アッシュありがとう。本当にもう大丈夫なんだ」
 ルークはじっとアッシュを見つめて嬉しそうに笑みを浮かべた。見つめられていることに気恥ずかしさを感じてアッシュは何か飲み物を用意すると言ってルークから少し離れた。ルークはアッシュがそうしている間に枕元を覗き込み何かを探している様子だった。
「何か探しているのか?」
「あ、うん……本があったはずなんだけど」
 アッシュは飲み物をルークに手渡した。
「ああ、あの小さなサイズの本か。それなら……」
 アッシュは引き出しから本を取り出してルークに渡した。ルークは少し赤面した。どうやらアッシュが中を見たかどうかが気になっているらしい。見たというにはアッシュも恥ずかしいものがあり尋ねられる前に伝えるべきことを伝えることにした。
「その本はメイドの落し物らしい。探していたと言っていた」
「あ……落し物?」
「ああ、お前の枕元で見つけてショックを受けていた。返してやった方がよさそうだ」
「取り上げたりはしないけど……」
 ルークは名残惜しそうに本を見た。
「まだ読んでいる途中ならば貸してもらえばいいだろう。そう伝えておこうか?」
 本を何度も見なおして、ルークは躊躇いながら頷いた。
「そうしてもらえると嬉しいな……」
「お前がそう言ったものを読むとは意外だな」
 アッシュのつい漏れてしまった感想にルークはカッと顔に朱を登らせた。
「中を見たのか?」
「ああ、そういうものは女子供が好きなものだと思っていた。面白いのか?」
「俺も初めてだよ。面白いっていうか……その……」
 ルークは恥ずかしさからか本を手慰みにパラパラと繰り官能的な頁が目に入り、ますます顔を赤くして俯いた。つい先日にその本より大胆な申し出をした本人とは思えない初心な反応にアッシュは攻撃の手をを緩めない。ルークの横に座り寄り添う。
「そういうことをやってみたいと思ったのか?」
「え?」
 頬に指をかけて問えば、ルークは心底驚いたというようにアッシュを見上げた。
「ええ??えええ?!!」
「なぜ驚く?お前は先日俺にセックスをしてくれと言ったのはこの本を見たからではないのか?」
 ルークの開いた頁にある官能にうちふるえる女性のセリフに指を這わせて聞き返した。ルークは頷き、そのアッシュの指の動きに気付き顔をますます紅くした。
「そうだけど……それは……そうなんだけど……あれ?そうだよな。俺アッシュにしてほしいって言ったんだ。だって俺、アッシュを忘れたくなくって身体がセックスをしたら相手のことを覚えるって……それで……あの壊れても、忘れたくなくって……アッシュにぎゅっていっぱいしてもらって……それで……」
「それで?」
「それで……」
 ルークはそこまで言ってもう無理っていう風に顔を両手で覆った。耳まで赤い。
「ルーク。その壊れるとか忘れるというのはどういうことだ?どこか悪いのか?」
 ルークは両手で顔を覆ったまま首を横に振った。
「眼鏡を呼んだほうがよさそうだな……俺では話にならないか」
 レプリカに関する専門的な病などについては普通の医師ではわからない。今回の風邪だと思っている不調も下手をすれば命にかかわることかもしれないのだ。専門家に頼るしかない。それに本人には何か思い当たることもあるらしい。それを教えてもらえない程度にしか信頼を得ていないというのはアッシュにとても痛みを与える。
「安心しろ……ジェイドを呼んでやる。お前の不安はあいつが取り除いてくれるだろう」
 アッシュは脱力を感じながらもルークの頭を撫でてやった。
「力になれなくて悪いな……」
「アッシュ……違う……アッシュは力になれないなんてことない」
「だが、俺には言えないのだろ?お前は何かに怯えて俺に助けを求めていることは分かっている、だが、俺にはお前を助けることができない。そうなんだろう?先日の夜のことも……お前は俺を求めているのではなくて助けを求めていた。だが俺にはその原因も救う方法もわからない。その上体調を崩させてしまうなど、不甲斐ない護衛だ」
 こんなことをルークに告白してなんになるのか、ますます不甲斐なさいが際立つだけだとアッシュは自嘲した。
「違う。アッシュはそんなことない!」
 違うとルークは否定しながらルークはアッシュに縋りついた。
「違うんだアッシュは何も悪くないっ!俺は……俺……レプリカだから……」
 ルークは唇を震わせて言い淀む。アッシュはルークを勇気づけるようにその背を撫でた。どんな答えでも受け止めてやるつもりで縋りついてきたルークを抱きしめた。
「俺……レプリカだからそのうち壊れちゃうかもしれなくて……俺が俺じゃなくなって記憶だってなくって……真っ白になってアッシュがわかんなくなったらどうしようって、それでアッシュも俺から離れちゃうかもしれなく……て……」
 ルークは言っているうちに不安で仕方なかったときの気持ちがぶりかえしたのだろう。ぼろりと涙がこぼれた。アッシュはルークをもっと強く抱きしめた。レプリカが壊れる?眼鏡はそんなこと少しも言わなかったと言うのに?アッシュにはにわかに信じられない告白だった。しかしこんなに不安になっているというのなら何らかの根拠があるはずだった。
「ルーク……それは誰に聞いた?」
 ルークはアッシュの腕の中で首を横に振って、胸元のシャツを握り占めたままアッシュを見上げた。涙で潤んだ翠の瞳がアッシュを見つめていた。
「誰も……だって、身体が……」
「もうその症状の自覚があるのか?」
 身体に異変があったというルークの言葉にアッシュは衝撃を受け、勢い余ってルークの肩を強く掴んでしまった。ルークは痛みに眉を潜めた。
「それは前から……頭痛とかがあって、アッシュに毒を消してもらってからはほとんどなかったんだけど、アッシュを見てたらなんか胸が苦しくなったり、頭がぼーとしたりするしこの前も……あと、昨日の身体が動かないのはどうなのかな?」
「昨日も身体が動かなかったのか?風邪のせいではなく?」
「風邪って動かなくなるもんなの?前の勝手に身体が動いてたのとはちょっと違ったけど。前に勝手に砂漠に行ってたときは俺も記憶なかったし……良くわかんねぇンだけど……昨日とはちょっと違ったから症状が進行したのかな?って思ったんだけど」
 ルークは首を傾げてうんうんと唸る。ルーク自身仮説でしかないらしい。ともかくなんらかの異常を認識しているのなら眼鏡にでも見てもらうしか方法はない。
「他にはどういった症状がある?」
「最近は胸が苦しくなったりぼーとしてしまってたりだけど……前にあったのは勝手に身体が動く以外って言うと、記憶障害……記憶ない時があるみたいなんだ……よくわからねぇけどたぶん……」
 ルークはへらりと笑った。何かルークの言う症状に引っ掛かりを覚える。そもそも砂漠に行ってたときというのはもしや……
「それはいつからだ?」
「おかしいなって思ったのはほら、アッシュにザオ遺跡であっただろ?あの時。ジェイドとガイに夢遊病だって言われて俺がおかしいんだってわかったんだ」
「あ……」
 アッシュは思わず声をあげた。


 「それはチャネリングのことか?」
「チャネリングじゃない……と思う。チャネリングはアッシュの声が聞こえたり、アッシュが俺の身体使って超振動とかいうのをすることだろ?超振動は使ってないし、あの時のことは俺もちゃんと覚えてる……そうじゃない。昔からあった頭痛に近い感じがするからきっと壊れる前兆だと思うんだ……レプリカって記憶障害になったりするんだろ?」
 ルークはすっかりと肩を落としてそう告白した。記憶障害になると言う話をアッシュは聞いたことがなかった。
「記憶障害……?」
 アッシュが狼狽しながらも尋ねたことにルークはこくりと頷いた。
「ガイがそれで日記をつけろって、ザオ遺跡のときは俺も記憶なくって、ジェイドも俺に夢遊病ですか?って言ってたし……それってレプリカだけの病気なのか?」
「いや、待てルーク。ザオ遺跡に行くまでの砂漠越えは俺がお前の体を操っていたんだ。チャネリングでな」
 アッシュはルークに申し訳なく思いながら告白する。チャネリングのことを伝えたつもりでいたが、話ができて身体を動かすことができるとルークの自尊心を殺ぐために告白したことはあったが、きちんと伝えたことはなかった。のちに酷い頭痛がするのだと知ってからはなるべく使うことは控えていたし、ルークが眠っているような時間を狙って回線を繋いでいた。それが裏目に出ていたということなのだろう。
「え?だってあの時は俺は記憶がおぼろげで……だから医者とかガイが言ってた記憶障害の前兆なんだって……アクゼリュスのときとは違う感じだったし……アッシュが?」
 ルークは納得いかない様子で首を傾げている。
「すまない……俺の説明不足だ。ともかくすぐに眼鏡を呼ぼう。専門家なら何かわかるかもしれないしな……ただのチャネリングだとすればルークも安心だろう?これからはもう繋がないようにしよう」
「う、うん……それはちょっと残念かな?」
 ルークは寂しそうに頷いた。
「アッシュとの繋がりなくなるのか……」
「だが、頭痛がするのだろう?それにお前が記憶障害になるようならば俺は使いたくない」
「アッシュ……」

 ルークは嬉しそうにアッシュの袖をつかんだ。




++++


なんかすごく説明でおもしろくないわーTTすみませんーー







++++15  




 客人だとの案内の終わらぬうちに扉が開き、ガイが飛び込んできた。
「ルーク!!倒れたって大丈夫か?!俺がついててやればこんなことにはならなかったのになっ!すまないルークッゥ!!」
 黄色が部屋に飛び込んできてソファに座っていたルークに飛びつこうとしたところ、不意にアッシュの背中で消えた。
「起きていて大丈夫なのか?寝てた方がいいじゃないのか?!」
「ガイ?」
 ルークは驚いてしまいアッシュの背中越しにちらちらと見える金髪と見慣れた少し大きな手にガイの名前を呼んだ。
「アッシュ邪魔だ。俺はルークに」
「ルークの前だからもう少し静かにしてくれないか」
「だいたいアッシュ。ルークが倒れたってどういうことだ?大丈夫だとかいってたが、やっぱり俺がついてないと駄目だろ?」
「お前はマルクトの伯爵だろうが……」
 アッシュがもっともな意見を述べて、突進してくるガイを抱きとめて二人で親しげに言いあっている。こういうのは確かボディトークとか言うんだっけ?とルークは羨ましく思いながら二人を見ているしかできない。ルークも二人に飛びつけばいいんじゃないかと思ったりもするが、それだけの勇気はまだ持てない。
「思ったよりお元気そうですね?すぐに来てくれとアルビオールに連れ込まれたのでどういうことかと思いましたよ」
 アッシュとガイを全くないものとでも言うように扱い、現れたジェイドはルークの前へと立った。
「どうしました?ルーク」
 妬ましげな目を見とがめたようにジェイドはにっこりと冷たい微笑みを浮かべて言う。


 眼鏡が白く光りを反射してルークは何とも言えない恐怖に身を縮ませた。その奥にある赤い目はもっと怖いが今は見えなくてよかった。キムラスカ軍に死霊使いと異名を持つほどに恐れられているジェイドにルークは小さくなって項垂れた。
「ほーレプリカは記憶障害を起こして壊れると……」
 血中音素の検査や身体の基礎の検診をしながら、粗方の事情をたどたどしくルークが伝えアッシュが補完する。話し終えるとジェイドはソファに座りなおしそう言った。
「眼鏡がルークにそう教えたのか?」
「私がそのようなことを言ったと?」
 アッシュの責めるような言葉にその恐ろしい赤い目がアッシュへと向けられた。冷たい視線を向けられたわけでもないのにルークはさっと目を逸らし、それでもアッシュを守らなくてはと思ってその身体をジェイドとアッシュの間に滑り込ませ、否定の言葉を叫んだ。
「言ってないって……言ってないよアッシュ!!」
「ではどうしてお前はそうだと思ったのだ?そもそもそういう心配はないのか?」
「心配は全くないとは言えませんが……何しろこんなに長く生存したレプリカの記録もありませんし、しかもローレライとの完全同位体。特殊な事例ばかりですからね」
 ジェイドが興味深いとでもいいたそうにルークとアッシュを見比べた。ルークが怯えたように身体をすくませるに至ってアッシュの堪忍袋の緒が切れたらしい。アッシュはルークを守るようにその身体を引き寄せた。
「てめぇ……っ!」
 アッシュはルークを己の後ろに隠し、ジェイドに詰め寄るもジェイドは全く気にした様子もなく眼鏡を直した。
「しかし、今のルークの様子を見る限りにおいては、レプリカの体に限界が来ているというようなことは見受けられません。ただの風邪の症状は出ておりますが……まさかただの風邪でバチカルまで呼びつけられるとは、いやはや全く……」
 ジェイドは信じられないと呆れたように両手をあげた。アッシュとジェイドが話している間にいつの間にかガイがルークの隣に来てソファに座るように勧めてくれる。
「ならばルークは大丈夫なんだなっ!記憶がなくなったり身体が動かなくなったりなどというようなことにはならないんだなっ!」
「今のところはとしか申し上げられませんが……何か他に気になるようなことは?」
 ジェイドはアッシュをあしらうとルークへと尋ねた。すでに遺跡に行く途中の記憶がない状態で砂漠に出ていたこともそれはアッシュがチャネリングだと言っていることも、アクゼリュスでのことも伝えていた。それらはチャネリングであろうとジェイドも言っていた。
 先日身体が思うように動かなくて声もでなかったのは風邪の症状だと言うこともわかった。あとは……先ほどのアッシュとガイの会話を見ていて身に沁みたことなのだが、アッシュが他の人と親しげに話をしていると特にガイと。なんだか落ち着かなくて胸がちくちくそわそわする。これもジェイドに伝えておかなければいけないことなのだろうか?ルークは迷ってアッシュとジェイドを見た。
「ルーク。どんな些細なことでも何か気になることがあるのなら今言っておいてください。アルビオールのおかげで便利になったとはいうものの、グランコクマとバチカルはとても遠くて時間の浪費が多いのですよ」
 私は暇ではないと言外にジェイドが言うとアッシュが鋭い目で睨みつけた。横に立つガイは「俺は毎日通ってやってもいいぞ」とにこやかに言う。いやさすがに毎日は無理だろうことはルークにも理解できた。アッシュがガイに来るなと忠告して二人でそんなことを言うなとか会話してるのを見てるとやはりどうも落ち着かなくてルークは胸に手をやった。
「ルーク」
 ジェイドに少し厳しい声で名前を呼ばれてルークはぼそぼそと何とも言えないこの症状を伝えた。
「あの……胸がちくちくというかもやもやっていうか落ち着かなくなるんだ。さっきみたいにアッシュがガイと仲良くしてたり、メイドや騎士と話してたりすると……これもどこか悪いのかな?」
 ジェイドの苦虫を噛み潰したようなとも苦笑とも言えないなんとも言えない表情をルークは見上げることとなった。ジェイドはしばらく何かを耐えるような表情の後に大きくため息をついて肩を落とした。ルークの横で押し問答のようなやり取りをしていたガイとアッシュが互いに格闘しながらも、どことなく顔を輝かせまんざらでもないという風にルークを見つめた。やっぱり二人はとても仲が良いのだ。またつきりと胸が痛みルークは咄嗟に目を逸らした。
「あ、あの……俺何か変なこと言った?すごく悪い病気なのか?」
 何か言ってはいけないことを言ったような居心地の悪い感じがした。ルークはますます不安が募った。
 ジェイドがまた大きくため息をついた。
「ええ、それはそれは難しい難病ですよ。昔から医者でも治せないという難病です」
「っ!!?」
 少し泣きたい気分になった。それはレプリカだからなる病なのだろうか?アッシュにうつったりはしないのだろうか?それを確かめたいと思うものの喉が何かに押しつぶされたように声が出ない。みっともない顔になってる自覚はあったけど、最後にはアッシュを見たい。たくさん見ていたい。
 アッシュを見るとアッシュはとても嬉しそうな顔をしていた。
 あ、やっぱり迷惑だったんだ。レプリカなんか苦しんでいればいいんだ……
 ぽろりと耐えきれなくなって涙が落ちた。




++++








++++16




 目が熱くてその熱を冷ますためなのか、涙は止まることを知らないように零れ落ちて行く。そんなことよりも確認しておかなければならないことがあった。
「それってアッシュや他の人にうつったりしない?」
 ルークは何かの圧力でつぶされたような喉がカエルのような音を出していた。えぐえぐとしゃくりあげながら、ルークはようやく絞りだした。
「うつる。ですか……」
 呆れた声色にルークは身が縮む思いがする。触れるだけで人が死ぬようなレプリカだったのだ。あれは触れさえしなければ人が死ぬこともなかったが、もし一緒にいるだけで病がうつり苦しむようなことになるのかもしれない。もっと最悪のことを考えておくべきだったのだ。
 ジェイドが苦笑を浮かべてアッシュを見たあとに、疲れたように肩を落とし困ったように言う。
「それは他の人に迷惑になる?」
「そりゃぁ迷惑です。今、現に私は大変な迷惑を被ってますからね。さて、ガイ!帰りますよ」
「え?そりゃないだろジェイド。俺はしばらくルークについていてやりたいんだが……」
 ガイは心配を前面に押し出してぐいとルークの元へと近づいたが、やはりそれはアッシュによって遮られた。アッシュのその行動によりやはり人に移る病だったのだと確信を得た。
 どうしてもっと注意しておかなかったのかと後悔ばかりが先に立つ。
 そりゃそうだ……ガイにもしうつったりしたら大変だし、アッシュも毒への耐性があるとはいえこんな治らないという病気がうつらないとも限らない。ルークはなんだか息をしていることすら申し訳ない気持ちになった。少しでも毒を吐き出すことを減らそうと、小さく息をついて俯いた。
「一人にしてくれよ……」
「ガーイー帰りますよ」
「え?おい……ジェイド……ルークが」
「帰りますよ」
 ジェイドはそういうとさっさと部屋を出る。ガイは未練があるようだが、困惑しながらもアッシュに押し出されようとしていた。
「アッシュも出ていってくれよ」
「ルーク……それは……」
 アッシュがガイを追い出そうとしていた手を止め振り返った。
「一人になりたいんだ」
「ガーイーいつまで待たせるんですか?特効薬がすぐそばにあるのですから、医者は不要ですし、世話係もいりませんさっさと帰りますよ」
 ジェイドはそういうと未練たらしくしているガイを呼びつけた。
「特効薬?!!ちょっと待てジェイド!!」
 ルークは扉へと駆け寄り、それでも近くには近づくことはできずに数歩進んだだけで立ち止まり叫んだ。
「特効薬ってなんだよ?どれのことだ?もらってねぇ!」
 部屋の扉のところで行き合ったアッシュにもらったかと視線で尋ねればアッシュはらしくなく頬を赤くして照れた笑みを浮かべた。こんなに近づいてしまっては病がうつってしまうかもしれないとルークは部屋から出ることはむろんアッシュに近づくことも躊躇われ、不安になってそっと一歩引いた。
「ガイ安心して帰っていいぞ。まかせておけ」
 そういうアッシュはとても穏やかな笑みを浮かべていた。やっぱりルークに対して浮かべるものとは違う気がした。対するガイは怒りをあらわにしていた。
「安心できるか!前にもそういってただろうが!俺のルーク!を寝込ませておいて……っ!」
 などとガイの怒鳴り声が聞こえるがジェイドの差し金か騎士に連れられて、それも次第に小さくなっていく。ルークはジェイドを追ってその特効薬を改めてもらうことも考えたが、アッシュがわかっているようなので止めておいた。問いだたしたたところでジェイドからはあれ以上のことは出てこないだろう。
「アッシュ……薬って?」
「ともかく座らないか?」
「なにそんな落ち着いて……もしアッシュにうつったりしたらどうするんだよ……薬があるなら早くくれよ!」
 落ち着きはらった様子のアッシュが憎たらしい。八つ当たりだとわかっていても声が荒ぶるのを止められなかった。さっさと薬とやらを渡して、アッシュはうつらないように出て行ってて欲しい。一人は慣れている。
 アッシュは逃げるように後ろへと下がるルークの肩を抱いて座るように促す。ルークも諦めてアッシュと一緒にソファに腰掛けた。
「アッシュ……早く薬を……」
「ああ……そう急ぐな」
 アッシュが落ち着かせようというような何度も肩や背中をさすってくれるので、次第にルークも落ち着きを取り戻した。ルークは一息ついて肩から力を抜いた。やっと息がつけるようになった。
「いつジェイドからもらったんだ?俺、全然気づかなかった」
 アッシュを見上げてそう問うた。ふわりとその唇に触れるものがあった。間近にあるアッシュの瞳にルークは反射で逃げをうつが、それはアッシュの腕によって封じられる。労わるような凪いだ碧の瞳に一瞬で意識が吸い取られてしまった。
 二人の間で交わされるキスの濡れた音でルークは溺れていた感覚から醒めた。アッシュに病がうつってしまうということに気付いて、ルークは猛烈に今こんなことをするアッシュに腹が立った。アッシュから逃れるために身をよじり、そして両手の届くアッシュの背中をぶった。
「アッシュにっ!うつったらどうすんだよっ!バカッ!!」
 ようやく離れてくれたアッシュにルークは怒りをぶつけた。アッシュは愛しげにルークの髪を撫でつけて、未だにルークが背中をぶっているのに離そうとしない。
「アッシュっ!」
 ルークの言葉が全く聞こえていないのかと心配になるくらいに、アッシュはルークを離そうとしない。
「離れてくれって……っ!」
「どうしてだ?」
「どうしてっ……って……だって……病気がうつるんだぞ」
 ルークはまた眼がしらが熱くなってきた。もしアッシュに病気がうつって死ぬようなことがあったら、一緒にいたいと願ったことを後悔する。そしてそんなことをした自分を怨むし呪う。
「その病ならばもう罹っている」
 アッシュの言葉にルークは血の気が引いた。恐怖と後悔とで頭が真っ白になる。あふれ出る恐怖が口をついて何か音を発していた。
「落ち着けルーク!!大丈夫だから!」
 恐慌状態に陥るルークをアッシュは宥めようとして強く抱きしめ背中をさすってくれる。腹の底からあふれ出た恐怖の音はそのうち息が切れて何も出なくなった。
「ゆっくりと息を吐いて吸う。ほらゆっくりと吐いて……」
 アッシュが呼吸困難であえぐルークを何度も背中をさすり落ち着かせようとしてくれる。足の間接がかくりとクッションを失ったように崩れてずるりと身体が重力に引かれて落ちて行く。アッシュはルークを抱きとめてそのまま座った。アッシュに言われるまま息をしてどうにか落ちそうな意識を保った。どうしてアッシュはそんな風に落ち着いていられるのだろう。
 呼吸が落ち着き思考ができるようになれば、どうしようアッシュが死んでしまったらどうしよう。と最悪な考えぐるぐると回り始める。
 がくがくと震える身体を自身で抱いて震えを止めようとするが、一向に効果はなかった。アッシュが抱きしめて名前を優しく呼んでくれる。それがとても温かく感じた。
「アッシュ……アッシュ……どうしよう。俺のせいだ……」
「大丈夫だ。ルーク心配はいらない」
「どうしよう……俺のせいだ……」
 アッシュの身体に縋りながらも何かアッシュを助ける方法はないものかとルークは考える。
「あ……ジェイドが薬って……」
 それはどこにあるのかとアッシュの周りを伺う。手渡されている気配すらなかったのだが、それはアッシュにも効能はあるのだろうか?ともかく早くそれを服用して治さなくてはいけないのではないだろうか。
「早くそれを飲んで!とにかく早くアッシュ薬を飲むんだ」
「大丈夫だから落ち着けルーク」
「もう飲んだのか?」
 アッシュの落ち着きぶりにルークは一息ついた。よかったそれをアッシュが服用したのなら安心だ。
「よかった……」
 ルークはそのまま脱力して座りこんだ。
「アッシュは治るんだよな?酷くなったりしないんだよな?」
 ルークは確認の形をとりながらもそれはルークにとっては確定事項で自身に言い聞かせるために口にしただけだった。
「それはお前次第だ」
「え?」
 だからアッシュから返答があるとは思ってなくて帰ってきた答えにルークは咄嗟に反応できなかった。
「俺、次第……」
 何かレプリカがいるとオリジナルに影響があるということだろうか?そういえばそんなことを聞いたことがあるような気がする。それがどんなにつらいことでもアッシュのためならなんでもしようとルークは決心をつけて震えていた手を握り締めた。
「アッシュのためなら俺、どうなってもいいよ。なんでもする」
「キスを、してくれないかルーク」

「え?」
 覚悟していたものと全く違う言葉にルークはぽかんとアッシュを見てしまう。アッシュは恥ずかしそうでもありそれでも真摯な瞳でもう一度ルークに口付けを請うた。
「キスしてくれルーク。お前の口づけが何よりの薬になる」
「そんなこと……あるわけない」
 やはり病気でアッシュが少し変になってしまったのだろうか?
「何の病気なのか知っているのか?」
「ジェイドは医者でも治せない病気だって……」
「それはそうだろう『恋の病』だからな。俺はお前に恋焦がれている。だからお前の口づけが欲しい。できればその心も体もすべてを俺のものにしたい……叶わぬ恋だとしてもお前に伝えるだけで少し楽になった」
「叶わぬ恋……?俺は……俺のほうがずっとアッシュと一緒にいたいっていって断られたのに?俺はアッシュに会った時からアッシュに焦れてるよ。アッシュが俺を振ったんだよ?」
 アッシュは申し訳なさそうな表情を浮かべすまなかったと短く詫びた。
「今は違う。共にいたいとお前には伝えているつもりだったのだが」
「知らない。嫌われてはなくても俺が付きまとうのは迷惑なんだろうなって思ってた……」
 アッシュは驚いた顔をして『だからか』と、なぜか納得をしたように頷いた。
「好きだ愛してるルーク。ずっと共にいてくれ」
 そういってアッシュはルークの頭を撫で応えを待ち、誘うように首を小さく傾げルークを覗き込んだ。
「あ、アッシュ……お、俺もずっと一緒にいたい。こういうのって好きって言うのかわかんねぇけど……俺、アッシュと一緒にいたい」
「ならば両思いだな」
 
「両思い……?」

「病気は?」
 急展開な話にルークは翻弄されてしまい。単語ひとつひとつは理解できるのに、バラバラでそれが現在へと繋がらない。
「アッシュの病気は?」
「お前がそばに入れくれれば治るものだ。ルーク。お前は俺がそばにいれば治るのであろう?」
 ルークは首を横に振った。
「だって……アッシュが一緒だと俺……うれしくて変になる」
 アッシュは楽しそうに笑った。
「それもそのうち慣れる」
「慣れる?……」
 アッシュはルークの頬に口付けた。
「アッシュ……」
「キスだって慣れただろう?」
「そりゃ……はじめに比べれば……」
 不満げに突き出された唇をアッシュは含み笑いの後にルークの唇を食むようにして甘噛み、ゆっくりと口付けを深くしていった。呼吸が苦しくてルークは喘ぐようにしてアッシュから離れた。酸欠の苦しさなのか羞恥からの熱さなのかわからないままルークはアッシュを見つめた。
「もっとしたいけど苦しい……よ……」
 アッシュは余裕の笑みでルークの濡れた唇を指で拭った。
「慣れていけばいい……そして二人でもっともっといろんなことをしよう」
「アッシュと?いろんなことを?」
「ああ……」
 ルークは嬉しそうにアッシュの腕を掴み身を乗り出した。
「剣も?騎士団のやつらみたいなのもしてくれる?」
 勢いこんで言うルークにアッシュは苦笑を浮かべた。
「ああ、もっとだ。もっといろんなこともしよう。旅も冒険も勉強もな……あいつらとはしないようなこともだ」
 アッシュは酷く色気のある見たこともないような妖艶な笑みでルークを見つめた。どきりと心臓が高鳴ってルークは密かに心にしまっていたことをアッシュの耳元で囁いた。
「じゃあ……あの本に載ってたようなことも?」





+++END++++









++++
長い間お付き合いありがとうございました。


++++



















inserted by FC2 system