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+++誰も触れてはならぬ  3部 (アシュ←ルク)





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 「おやおや、未練たらたらですねぇ……」
 ルークはガイの立つ場所を振り返った。アルビオールの音に驚いて外へとかけて行ったガイを縋るような目で追う。そしてアッシュと並び立ち楽しそうに談笑する姿を遠目に眺め、歯を食いしばった。
「泣くほど辛いならば一緒においで頂きましょう」
「泣いてなんかない」
 ルークは己の頬に手をやり濡れていないことを確認しきつい視線で睨みつけてきた。見上げる視線がまったく笑みを誘う。
「それにいい加減ガイを開放してやらないといけないからな」
 そういってルークは悲しそうにガイの姿をもう一度じっと見つめ、踵を返した。
「さ、行こう。あんまり時間もないんだろ?」
「私はガイのようにおぼっちゃまの面倒は見ませんよ」
「あ!当たり前だ!誰も見てもらおうとはおもってねぇよ!」
 頬を上気させてルークは怒鳴った。耳まで赤くなりかねない勢いだ。
「おやおや……」
「ホントてめーむかつく」
 ルークは大股に先へと進んだ。アッシュではないが、その先に待つものが『死』しかないことを理解していないかのような振る舞いにジェイドは少し意地悪をしてみたくなった。
「ところでこの後の予定ですが、先ほど到着したアルビオールにていったんベルケンドへと向かいます。そこであなたの精密検査と超振動の訓練を受けて頂きます。その間にアッシュは大地を降下させてくれるでしょう。その間にレムの塔へレプリカが集まる手はずになってます」
「レプリカ?」
「ええ」
「俺以外にもレプリカがいるのか?」
「そうですね。預言順守派が預言成就の為にレプリカで兵を大量に制作したようですよ」
「兵士?」
 ルークの綺麗な柳眉が歪む。
「ええ、レプリカ兵に預言の戦争を実行させようと投入したんですよ。ルグニカに」
「そんなことが……?それで……?戦争は止められたんだよな?だから助けられたレプリカ達がそこに集められるのか?そいつらと俺は何をするんだ?超振動で障気を消すって言ってただろ?レプリカはみんな超振動が使えるのか?」
「おやおや……いつの間にかお利口になったようですねぇ」
「どういう意味だよ」
「いえいえ、後先考えずに砂漠に突っ込んで行ったときとは大違いだと申し上げてるんですよ」
 子供の拗ねた表情に安堵のようなものを覚えたジェイドはそこで息をついた。
「レムの塔に集められた第七音素の塊であるレプリカをあなたの超振動で分解し、世界に広がる障気を中和して頂くという計画です。もちろん惑星規模の術ですから術者も無事では済まないだろうと思われます。あなたはそれを承知して了承した。むろん断ればアッシュがする事になるわけですが……世界広しといえども超振動が使えるのはあなたとアッシュの二人だけですからね」
 一緒に並んで歩いていたルークの足が止まっていた。
「ブンカイ……?」
「ええ」
「死ぬのは俺独りじゃないのか……?」
 血の気の引いた青白い顔でルークは立ち止まったままで呟いた。
「そうなりますね。さ、急ぎましょう。アッシュが大地降下を早々と済ませてしまった場合邪魔が入るかもしれません……あなたにご執心でしたからね」
 ジェイドの言葉にルークはびくりと体を震わせた。
「アッシュが?」
「ええ、俺がすると」
 ジェイドはは先へ進むことを促した。
「アッシュは俺が失敗することを心配してるだけだ」
 ルークは肩の力を抜くと苦笑を浮かべた。
「怖くなりましたか?」
「いや、俺は我儘なんだ。ゆっくりしてたらソレをアッシュがするというなら俺がする。俺は知らないレプリカ達よりアッシュをとるよ」
 ルークは何かを振り切るようにゆるく頭を振った。


 アルビオールに乗り込んでルークを着席させた。まもなく離陸するというときに制止する声と飛び込んでくる影があった。
「ルーク!」
 ガイがアルビオールに駆け込んできた。
「おや?あなたはアッシュと一緒に行ったのでは?」
 ガイを抑え込もうとする兵をジェイドは止めた。
「俺はルークの使用人だからな。一緒に行くに決まってるだろう。俺がいると何かと便利だぜ」
 ジェイドはルークを見返した。ルークは驚いて眼を見開いていた。
「ど、どうしてガイが?俺……本物じゃないし復讐しないなら一緒にいる意味がない……し、どうして?」
「俺はルークと一緒にいたいんだ。それに俺はお前が死ぬことが前提の計画には賛成するつもりはない。もっと他の方法があるはずだ。だから一緒に行く。お前を独りにはしない」
「ガイ……」
 ルークは呟きながら視線を迷子の子供のようにさまよわせている。
「そうですか」
 ジェイドは頷き空いていた席を指差した。
「ジェイド……連れていくのか?」
 ルークがうろたえたように問いかけた。
「ええ、何か問題でも?何かと便利だというのでは連れて行くしかありませんから。それにあなたの特殊な体については彼は詳しい。いろいろと協力していただきましょう」
 ジェイドの言葉にルークは照れ隠しのつもりか困惑したような表情でうつむいた。




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 アルビオールが安定飛行へと入るのを待って、ジェイドはルークとガイの表情が見える位置へと座った。
「少しあなた達に確認したいことがあります。よろしいですか?」
 ルークは頷くとちろりとガイへと視線を投げた。ガイもこくりと頷きどうした?と先を促した。
「ダアトでヴァン・グランツ遥将が暗殺されたと、その時にあなたたちがその場に居合わせたそうですね。そしてその犯人はルークレプリカだと言う情報があるのですが、それは本当ですか?」
 ルークは先ほどと同じようにこくりと頷いた。反論するつもりはないらしい。ガイのほうが泡を喰った様子で身を乗り出した。
「そ、それは、確かに俺たちはその場に居合わせたが、ルークがやったとは限らないんじゃないのか?俺たちはそれを見たわけじゃない。死亡したヴァンとルークが一緒にいた所を俺は見ただけだ」
 ルークはガイに手で言葉を制した。
「ルーク……」
 良いんだと言いたげにルークは首を横に振った。
「俺がヴァン師匠に慈悲を与えたんだよ。アッシュとガイはその後に部屋に偶然来ただけだ。関係ない」
「どうしてそんなことを?とお聞きしてもよろしいですか?」
「ヴァン師匠がアッシュに酷いことさせるって言うから、やめてくれって頼んだのに絶対にそれをさせるってだから俺がアッシュを守ってやるんだ」
 淡々と語っていたが、ここにきてルークはふてくされた子供のように言った。
「それが悪いことだってことはわかったから、ヴァン師匠には悪いことしたなって思ってるよ。ガイにもアッシュにも……やっぱり俺は俺の意思で触れるべきじゃなかった」
「そのヴァンがアッシュにさせようとしていた酷いこととはどんなことだか聞いてもよろしいですか?」
 ルークがそこまでアッシュに拘るのは刷りこみなのだろうかと思うほどの執着ぶりにジェイドは些か驚いていた。ルークは少し躊躇して小さな声になった。
「アッシュに同位体を超振動で消させるって……」
「あなたをですか?」
 ジェイドの質問にルークは違うと首を横に振った。
「ちがうほら、なんだっけローレ……?師匠はたしか神殺しって言ってたかな?ロー……んー?」
「ローレライですか?」
「そうそうアッシュと同位体なんだろ?俺はあったことないけどきっと俺にとってのアッシュみたいなモンなんだろ?それを殺させるって言うから俺どうしてやめさせたかったんだ。そんな辛いことアッシュにさせたくない……ヴァン師匠はアッシュに酷い事ばかりさせるからもうこれ以上アッシュに辛い思いさせたくなかったんだ……」
 ルークはそのまま物思いに沈んで言葉を途切れさせた。
「神殺し……」
 ガイも初めて聞く話だったのだろう、動揺を隠せていない。
「神殺し……ローレライの抹消ですか。それがヴァンの目的だったと……」
 ジェイドが言葉を途切れさせた。
「そんなことをヴァンが考えていたとはっ……ヴァンは預言を憎んでいた。預言のない世界にしたいとよく言っていたが……まさかそんな方法だったとは」
「預言のない世界をローレライを消して創るですか。なるほど……それで現在ある第七音素を大量消費するためにレプリカを大量に作ったと言うわけですね。新たなローレライが生まれないためには絶対値が少なければいい」
 ジェイドが納得がいくと頷き ガイは頭を抱えた。
「あのさ……ジェイドたちはアッシュに酷いことさせたりしないよな?もうアッシュに同位体殺させたり、アッシュが辛いって思うようなことさせたりしないよな?」
 ルークは不安そうにジェイドに尋ね、決意をしたようにはっきりと言った。
「もし必要なら俺がその神殺しをする」
「いえ、ローレライを消すなんてことすればそれこそ世界が大混乱に陥りますからね。そんなことを希望するのはヴァン謡将くらいでしょう」
「よかった……あのさ、交換条件ってわけじゃないんだけどさ。俺はちゃんとするし、預言の通りに死ぬからアッシュのこと頼むな。酷ことさせたりしないでくれ、アッシュはすごく責任感あるからきっと無理なことでも成し遂げようとしちゃうと思うんだ」
 ルークは心底安堵したように表情を綻ばせた。そしてお願いと愛らしく笑みをジェイドへと向けた。
「そういうあなたはどうなのですか?」
 ルークは子供のように首を傾げた。
「俺?俺が何?」
「あなたは嫌で無理なことでも成し遂げようとしてるんではないのですか?」
「変なことを聞くな。ジェイド……俺に出来ると思ったから俺に依頼してきたんだろ?だったらできることなんだと思う」
「そうですね。私の質問が間違ってました。あなたはその酷いことをしたくはない。とは思わないのですか?」
「同位体のアッシュを殺すことは俺はしたくない。それ以外は別にいいよ。ちょっと一緒に消えなきゃいけないレプリカ達には気の毒だとは思うけどさ……ごめん。俺そんなの思わない。思ったほうがいいなら思うけど……」
 ジェイドが呆れたように乾いた笑いをもらした。
「思わないのならそのほうがいいですよ」
「嘘だ。ルーク。お前はそんな風には思えない。アッシュにさせたくないからそう言ってるだけだ。だから俺は全面的にその計画には反対する。ルークが辛い思いをする必要はないしその結果死ぬなんてことは認めない」
 ガイが強くジェイドへと詰め寄った。
「私に言われましても、決定事項ですから」
「他に何か方法があるんじゃないのか?なにか譜業をつくるとか!」
「今から開発しているようでは、間に合わないのですよ」
「ガイ……いいよ。俺はもう決めたんだから」
「だがルーク、お前はまだ子供で外のことも知らない。そんな重要なことを決めることなんかないんだ。もっとやりたいこととか楽しいことをしてて許される年齢なんだぞ」
「だからこれがやりたいことなんだよ。ガイ」
 ルークはふわりと笑みを浮かべた。
「俺がやりたいことなんていうとまた、迷惑をかけちゃうか……」
 ルークは残念そうに溜息をついた。
「どういうことだ?」
「俺がさ何かすることってたいていは禁止されてたりしただろ。それに何かすると誰か死んじゃうだろ。やっぱり何かするべきじゃないのかな?でも誰にも触らないから大丈夫だよな?」
 ルークはガイに言いながら、はっと気付いたように頷いた。
「それに今回はレプリカっていう道行が決まってるんだから……その人たちには気の毒だけど、迷惑かからないよな?」
 そう言ってルークは自分の震える肩を抱きしめた。



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 第七音素の扱い方と超振動の訓練を重ねるたびに、ルークの頭痛に悩まされる回数が多くなっていく。ジェイドは常備薬だと言うガイが持ち込んだ薬があまり効いていないことにも気づいていた。この子供はそれでも大丈夫だと無理に笑顔を作って訓練を続けようとする。ただの我儘な貴族だと言う認識は間違っていたようだ。
 今もルークは苦しそうにベッドの上で頭を抱えている。
「すぐに収まるから……」
 ジェイドの溜息を他の意味にとったのかルークは苦しそうな息の下で言った。しばらくしてから大きく息をついてからルークは体を起こした。
「アッシュからの連絡ですか?」
 不意に収まったように見えた頭痛の症状にジェイドは尋ねた。チャネリングを結ぶと頭痛がするらしいことをルークから聞いていた故の質問だ。だが、ルークは首を横に振った。最近の頭痛はそれとは違うらしい。
「前からあったのだと思う……声はしてるようなんだけど聞き取れない。アッシュじゃない……」
「前からあった頭痛も声がしていたんですか?」
 ルークは少し考えるように視線を泳がせた。
「そうだな……声がしていたような気がする。今のほうが聞こえるようになったような……?アッシュならはっきりとアッシュからだってわかるし声だってはっきり聞こえるんだけど……なんだろうな?」
 ルークは額に浮いた汗を丁寧に拭うと、決められた手順で身の回りを整えた。
「悪い待たせた……」
 ルークはベッドから降り立ちジェイドへと向かう。側に控えていたガイの手が物寂しそうに泳いている。身の回りを独りで整えられて満足そうな笑みを浮かべるルークと捨てられた犬のような憐れな表情の使用人が並び立つ。ジェイドはガイへと苦笑を投げかけた。
 ルークの達成感による晴れ晴れとした表情は、一寸先に待つものが「死」のみであると知る者には何とも言えない気分にさせられた。
「ルーク。もう少し休んだ方がいいんじゃないのか?」
 冷えた水のせいで水滴の付いたグラスを手に、ガイは心配そうに声をかけた。
「大丈夫。痛いのも収まったし時間もないんだからさ。そう言えばジェイド。アッシュはー?」
「なんですか?ルーク様」
「そういうのやめろよ。キモい」
「はいはい。アッシュがどうしましたか?何か言ってきましたか?」
「何も言ってこないからさ。どうなってるのかなと思って」
「何も言ってきませんか?探りすら?」
「怒ってるからなんにも言ってこない。繋いでる様子もないし……」
「先ほどの頭痛はアッシュだったのではないのですか?」
「違うって……アッシュだったら絶対にわかる」
 ルークは自信ありげに言いきった。
「そうですか。ではそれは一体誰なんでしょう?」
「ダレ?そうか持病じゃなくて、誰かって事もあるのか……」
「ルークとチャネリングできるのはオリジナルのアッシュだけのはずなんですが……」
「だろ……」
 ならいいやとルークは興味を無くした様子で隣にある訓練室へと移った。ジェイドはある可能性に気づいて、他にレプリカがいるのではと続けるつもりだった言葉を切った。オリジナルはローレライと同位体だと言う話ではなかったか?もしやルークとチャネリングをしかけているのは理論のみで、存在すら確認されてないローレライという可能性はないか?いや、まさかとジェイドはそのつまらない考えをそこでやめた。
 その存在すら確認されていないローレライを殺そうとしたヴァンももうすでにいない。

 それから日をおかずに、アッシュが大地降下の最終局面に入ったと報告が入った。その知らせをしようと向かう途中にルークが倒れたと連絡を受けた。




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 ベッドで体を起してジェイドを迎えたルークの瞳は不安に揺れていた。
「ジェイド」
 その手の中には見慣れぬ剣があった。倒れたと言うのでまた頭痛でのたうちまわっている姿を想像していただけに顔色はあまり良くないが体をしゃんと起こして迎えてくれていることに驚いた。そしてその手の中の剣の存在感に思わず体調よりそれに目を奪われてしまう。
「どうしたのです?」
「声が……声が聞きとれたんだ」
 ルーク自身も動揺しているらしい。興奮気味な声でそう言った。
「アッシュでしたか?」
 ルークは首を横に振った。
「違うんだ……ローレライが『地核から解放してくれ』って」
「ローレライが?」
「ああ、この鍵を使って解放して欲しいって言うんだ」
 ルークは胸へと剣を強く抱きこんだ。
「それはどういう意味でしょうか?」
「それがわかんねぇから来てもらったんだろ。どういうことなんだよ?」
 ジェイドはルークの抱えた大ぶりな剣を見つめた。
「それは剣ではなくローレライの鍵ということなのですね」
「鍵を送るって言ってた。気が付いたらこれを持ってたからそういうことだとは思うんだけど……ローレライの鍵ってなんだよ。ガイが言うにはユリアとの契約とかなんとか……」
 ジェイドはそこから説明ですかと息をついた。
「座ってもいいですか?」
 ルークが頷くのを確認してから、ベッドの脇に置かれた椅子にジェイドは腰かけた。
 

 ローレライはユリアとの契約により、地核におりプラネットストームをつくりだしているという伝説がある。それにより音素が循環し世界を支えている。
 その言葉の通りに大地すら宙に浮かせ支えていたことが公表されたのはつい先日のこと。その支えの耐久年数が過ぎたことにより崩落寸前だった大地を降下させている。
 吹き上げられ循環した音素により譜業や譜術が利用できるのである。問題はその吹き上げによって障気が発生していること。ローレライが地核にいることによってプラネットストームが機能するが、その反作用として障気が発生しているらしいことがわかった。

 それも創世記のころからわかっていたことのようだ。障気から逃れるために大地を宙に浮かせていたというのだ。
 だが残念なことに長年の間そのことを忘れてしまい。障気とプラネットストームに関する研究は一切されていなかった。ゆえに耐久年数越えを無策のままに迎えることになってしまった。
 どうせ預言を残すならこういう重要な話を残しておけとジェイドは過去の人々に説教をしたくなった。それは今は関係ないことなのでジェイドの胸の内にしまっておく。

 「つまり……?」
 ルークは首を傾げてジェイドの長い話に耳を傾けていたが、よくわからないと顔に書いてあった。
「ローレライが地核にいると障気が生まれるということです」
「ならちょうどよかったな。ローレライは空に上がりたがってるみたいだったし。いつまでも地核に閉じ込めてるのもかわいそうだもんな」
 ルークは無邪気に笑みを浮かべて言った。
「ですが、そうするとプラネットストームが止まってしまうのですよ」
「もう大地は下ろすんだからいいじゃん」
「譜業や譜術が使えなくなるんですよ」
「それは不便だな」
「ええ、不便です」
「それでどうするんだ?ローレライは解放してやらないのか?」
「いえ、解放することになるでしょうね。今回はあなたが障気を中和してくださっても、ローレライが地核にいる限りは障気はあふれ続けるのですから、それは止めてしまうべきでしょう」
「不便になるんだろ?俺はアッシュが譜術使えねぇのやだな」
 譜術を使うアッシュはとてもかっこいいんだと頬を染めて言うルークの愛らしさに、完全同位体の認識をジェイドは改めて更新する。
「すぐになくなるわけではありませんよ。その間に対策を講じればいいのです。そういえばアッシュはこの件に関してはどうおっしゃってましたか?」
「さぁ?」
 ルークはわからないと首を傾げた。
「連絡はありませんでしたか?ローレライからの頼みごととなればアッシュなら何か言ってきそうですが?」
「忙しいんじゃねぇの?きっとローレライも遠慮して俺に言ってきたんだろ」
 ルークは困惑したように目を眇めた。
「俺さ、ローレライを開放してそれから障気を中和することにするよ。ローレライの開放ってこの鍵を使えばすぐにできるみてぇだし」
「本当ですか?」
「ああ、ローレライの言い方だとさくっとやってくれっていう軽い感じだったから……これがあれば簡単なんじゃね?今すぐしてくれって言うくらいの勢いだったぜ。俺はしなかったけどな。やっぱりこういう重大なことは相談してからだろ?」
 ルークは自慢げに胸を張った。
「それはとても良い判断でした」
 ジェイドは苦笑しつつルークをねぎらった。ルークは照れたように頬を染めて笑みを浮かべた。いそいそとベッドから降りて身支度を整え始める。
「ルーク……どうかしましたか?今日は休んでいたほうが良いでしょう。顔色があまり良くありませんし、ローレライと交信してお疲れでしょう。検査をしたほうがよいかもしれませんね」
 ジェイドの言葉にルークはきょとんとした顔でジェイドを見返していた。
「え?いかねぇの?」
「どこへですか?」
「レムの塔だよ。解放すると決まったなら早く解放してやらなきゃ……」
「どうしてそう思うのですか?」
「だって早くしてくれってそう、すごく急いでる感じがしたんだ。早く行こうジェイド。ガイに頼んでアルビオールを準備してもらってるんだ」
 ルークの側にガイがついていない理由を知った。ジェイドは一抹の不安を拭えないでいた。
「駄目なのか?第七音素の扱いも上々だって誉めてくれただろ?」
「しかし、ルーク」
「すると決まったなら、もう行かなきゃ……たぶん時間がないんだ」
 ルークはジェイドの脇を抜けて部屋を飛び出した。




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 大地降下の最後の操作がおわり、アッシュはつめていた息を吐いた。脱力感で思わずその場に座り込む。早くレプリカのところへ、いや、違うレムの塔へ行き障気を中和せねばと思うが体が思うように動かなかった。独りきりでよかったとアッシュは改めて息をついた。みっともないところを見られずに済んだことを密かに喜んだ。
 また長い道を戻らねばならぬのだ。少し休憩して体力を戻さねばならないと己に言い聞かせる。脳裏をよぎるのはレプリカのことばかりで逸る気持ちはなかなか抑える事が出来なかった。
「屑で劣化だからな……任せられるか……」
 アッシュはため息交じりに呟いた。




 「俺が慈悲を与えた」
 瞼を閉じた暗い視界にルークがいた。いつも控え目な彼にしては珍しく得意そうにルークは言った。表情の変化の少ないルークにしてはこれは少し誉めて欲しいことらしい。ヴァンを倒したというならその剣技は誉めるに値するだろう。だが、床に転がるヴァンの死体がアッシュの動揺を誘う。明らかに決闘などの結果ではない死様をヴァンはみっともなく晒していた。
 見返したアッシュにルークはうろたえた様子で慌てて口を袖で拭っていた。穢れを拭いたいというように強く何度も擦りつけていた。その唇でヴァンに触れ、口づけてヴァンを殺したと言うことか……何が慈悲だ!
 アッシュはかっと血が沸き立つのがわかった。卑怯な手で師匠を殺したのだ。その何者も殺さぬような無邪気な顔でヴァンをたぶらかし死の接吻をしたのだ。アッシュすら触れたことのないそのやわらかそうな唇をヴァンに触れさせたというのか。ヴァンはルークの毒のことを何をも知らなかったのだろう。警戒心の強いヴァンが知っていてそんな愚を犯すはずがなかった。
 知らぬゆえに弟子の強請るままに近づき、何も知らぬまま死に至ったのだろう。ルークが言っていたではないか、触れたことのあるのはヴァンだけだったと……。知らぬゆえに近づけたのだ。
 騙し打ちをした……
 卑怯な手段にアッシュは怒りを抑えられなかった。己の複製品がそんな卑劣な手段に出たことが許せなかった。本人もそれを理解したのか、アッシュから顔を背け怯えたように震える声で何か言っている。
 師団の制服を着ていても同じには見えないというのに、なり変わるつもりだったのだろうか?この劣化した複製は。またアッシュから何かを奪うつもりなのだろうか?
 叱られることを怯える子供のような顔でルークはアッシュの前に立っている。そんなに利口ではないだろうまだ、幼いはずだ。前のように無邪気に笑って俺に助けてと縋りつけば、まだ守ってやらないこともない。だから……アッシュは知らずと部屋を出ようとするルークに手を伸ばしていた。

「さわるなっ!!」
 激しい拒絶にアッシュの手が宙をかいた。
「死にたくなかったら触るんじゃねぇ!」
 ルークに威嚇するように睨みつけられ、アッシュそれ以上手を差し伸べる事が出来なかった。縋れば守ってやろうと思っていた。いや縋ってくるだろうと……あの船の時のように子供のように泣きながら縋ってくると思っていただけに拒絶は予想外だった。手が届かなかったことが酷く腹立たしかった。
 そのうえレプリカのくせにオリジナルを守ると言う。『鉱山の街』へ行くと言うことがなぜに守ることになるのかレプリカの考えていることが全くと言っていいほどにわからない。預言はすでに外れているというのに今更何をするというのか……
 また鉱山の街で何かをしでかすつもりなのだろうか。そうだとすれば止めなければならない。殺してでもそれがオリジナルとしての義務だ。だからこの手であいつを……
 なのにいつもレプリカはアッシュの手をすり抜けていく。

 「どのみち死ぬなら同じですよ」
 有効利用だと眼鏡は笑う。あの胡散臭い微笑を浮かべる眼鏡などにたぶらかされるのか理解に苦しむ。また人に利用されてレムの塔で力を使うのだと言う。
 劣化レプリカに何ができると言うのだ。取り返しのつかない失敗をこれ以上する前に止めるしかない。
 イライラする。あの屑が己の写身だと思うと恥ずかしくて死にたくなる。矯正できぬというのなら、消し去りたい一秒でも早く。そうでなければこのどうしようもない焦燥感はなんだというのだろう。

 馬鹿で愚かなルーク
 馬鹿で愚かなレプリカ





 休まらないと思いつつもいつの間にか眠ってしまっていたらしい。酷い痛みでアッシュは覚醒した。
『私をこの場から解放してくれ……ローレライの鍵を送る……』
 頭の中に直接叩きこまれるような声には覚えがあった。
「ローレライ?!」
 アッシュの呼びかけにローレライは答えない。ローレライはアッシュへ話かけているのではなくレプリカへとメッセージを送っているらしかった。
 正当な受け取り手のレプリカにとっても会話とはいえないものらしく、ローレライは同じ言葉を繰り返し要求を突き付けているにすぎないようだった。
 レプリカの酷い痛みを受けて、その苦痛の声がアッシュにも伝わってくる。たぶんアッシュとつながっているためにその苦痛はアッシュよりも大きいようだった。
「ローレライ!!わかったからやめろ!」
 ローレライの暴力的な要求の突き付けをやめさせたくてアッシュは叫んだ。ローレライとレプリカはアッシュの介入に気付ていない。
「レプリカ!貴様勝手なことをするんじゃねぇ!!」
 「わかった」と返すレプリカにアッシュは叫んだ。ローレライはアッシュに干渉することのないまま回線は切れた。送ると言われたものはアッシュのもとにはなかった。
「屑どもがっ!!それは俺のレプリカだ。勝手に使ってんじゃねぇ!ローレライ!!」

 パッセージリングに向かって叫んだところで、空しく反響するだけだった。ローレライとはチャネリングは繋がらなかった。
 アッシュはギンジが待つ入口へと急いだ。




++++








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 レムの塔にはすでに大勢のレプリカが集まり始めていた。
「先にローレライをこの場所で解放する」
 ルークは共にアルビオールでこの場所にまで来てくれたガイと別れて昇降機に乗り込もうとした。
「おい……ルーク!」
 ガイが一緒に乗り込もうとするのをルークは不思議そうに首を傾げた。
「ガイはレプリカでもないのにどうして一緒に行くんだ?何があるかわからねぇしここで待機してたほうがいいと思うんだけど……それとも俺が逃げちゃうんじゃねぇかと心配なのか?」
「ルーク!」
 ガイは苦しそうに名前を呼んだ。
「何があるか分からないから心配なんだろ!もしお前に何かあったら……」
「大丈夫ちゃんと解放した後に障気も中和する。ちゃんと預言通りになるし、ガイの望みも叶う……から信用してくれよ」
 ガイは違うと首を振った。ルークはわからないと瞬きを繰り返して後ろにいたジェイドに視線をやった。
「ルーク。ローレライを開放してすぐに障気の中和は難しいのではありませんか?」
「なんで?ローレライがそうしろっていうし、俺も早いほうがいいんだ。アッシュのこともあるしな……」
 ルークはにっこりと笑う。昇降機が動き始めた。
「失敗しないように祈っててくれ!」
 ルークは晴れやかな表情で手を振り別れを告げた。
 ガイがあきらめがつかないと昇降機に群がるレプリカをかきわけて歩み寄るが、結局それには乗り込むことができなかった。


 レムの塔の上階は広いフロアになっており、すでに集まったレプリカが所在なさげにうろうろとしていた。人数のわりにざわめきすらないのが少し異常な感じがした。
 フロアの中心にルークは立つ。危ないからとレプリカ達を離れているように注意を促した。ローレライは解放の場所どころか作業の手順すら知らせては来なかったが、どういうわけがルークの体が知っていた。労せずその方法がわかり体がそれをなそうと意識せずとも動く。
「やっぱりな……」
 ルークは苦笑を浮かべて中心にローレライの剣を突き立てた。やはりレプリカの劣化か何かでルークがルークで居られる時間は残り少ないようだ。以前にアッシュがレプリカの体を自由に使えると言っていたがそれとは少し違うように感じていた。アッシュに使われるのならそれはそれでよかったのだ。
 知らない間にされた刷りこみだかなんだか知らないが、自分が自分でなくなる前にすべてを終わらせたい。この毒の体が役に立つ間にそして、アッシュの迷惑になる前に消してしまいたい……触れた者が死ぬなんてそんなモノを残したくなかった。
 折角、アッシュのレプリカでそっくりな姿なのに、とても残念だけれど……劣化して毒の体になってしまったのだと言うのならやはりそれはルークの責任のような気がした。やはり意識があるうちに自身で始末をつけてしまいたかった。オリジナルであるアッシュには手間をかけたくはない。

 鍵を回すように剣をぐるりと回すと、譜陣が床に広がり光が宙に舞う。どこからか音素が集まり風を起こした。ルークの髪が風に煽られて吹き上げられた。強い風にルークの息が詰まった。
 周りにいたレプリカ達が巻きこまれていないか心配になってルークは閉じていた瞼をそっと開いた。風の壁ができ、その外にいる者たちには何の影響もないようだった。先ほどと同じようにぼんやりとルークを彼等は眺めていた。こちらをどうこうしようと言う気もない、その無関心な姿にルークは思わず笑ってしまった。
 手から力が抜けた途端に吹き飛ばされそうになり、慌てて掴み直した。ローレライはルークにまとわりつくようにうねり、そして宙(そら)へと上がって行った。礼のような礼に聞こえないようなこ難しいことを何か言っていたが、ルークにはあまりよく聞こえなかった。大切なことならきっとアッシュに伝えられているだろう。
 巻きあがる風と共にルークは空を見上げていた。空は変わらずどんよりとした色で覆われていた。どうせならこいつを吹き飛ばしていってくれればよかったのに……風が治まりルークは体を支える事が出来ずにその場に座り込んだ。思っていたより疲れたなと息をついた。
 少し休んでから障気を中和しよう。いつの間にかフロアにはレプリカがあふれるように増えていた。

 息も落ち着いてきた。ぼんやりと座っていても仕方ない。とルークはローレライの鍵を杖代わりに立ち上がった。膝が震えて一瞬よろめいた。思っていたよりも消耗していたらしい。
「さぁやるか……あんまりゆっくりもしてられないしな」
 気合いを入れるために独りごとを言う。その声に反応したらしくレプリカがゆっくりとフロアの中心へと向いた。
「みんなの命を俺にください」
 虚ろな視線とはいえ万にも及ぶ人の視線には圧力があった。ルークはそれにさらされて怯みそうになったが頭を振ってそれを振り払った。
 彼らよりアッシュをとったのだ。だから真正面からその視線を受け止めた。

 俺の為に死んでください。俺も死ぬから……心の中でルークは言った。



++++








++++37




 教えてもらって練習した通りに超振動を発動する。周りにいたレプリカ達が音素へと分解され散り、ルークによって超振動へと変換されていく。障気が正常な第七音素へと再構築されていく。
 あまりの膨大な音素の量にルークの体が軋み始めた。支えきれずにぐらりと体が傾いだ。
「だめだ。まだあと少し……」
 ルークはローレライの鍵を杖にして体を立て直した。体が沸騰するように熱い。
「まだ……だめだ」
 倒れるわけにいかない。支えている腕が透けていく。周りで消えていくレプリカと同じように仄かに光になって行く。体が音素となり散っていくのをルークは自覚した。劣化しているから持たないのか?そんなはずないとルークは震える体を叱咤した。
「まだ終わってないっ!」
 あと少しだと自分で励ましてローレライの剣を強く握りしめ体を支えた。崩れはじめていた手に触れるものがあった。誰だ?とルークはかすむ目でその先を見た。黒い衣装紅い髪。
「ア……アッシュ……」
「しっかりしろ屑!中途半端やってんじゃねぇ!」
「あ、ありが、とう……」
 ルークはこくりと頷き礼を述べた。手は半分透けて剣が見えているのにそれに添えられたアッシュの手の温かさが伝わってくる。
「てめぇの為じゃねぇ、貴様は独りで勝手に死ね」
 アッシュは赤面して怒鳴った。横を向いているためにその綺麗な瞳が最後に見れないのが残念であった。
 指先が温かい。己に触れる者がいる……それが嬉しい。そしてそれがアッシュであることがとてもうれしくて仕方なかった。
「うん……」
 ありがとうアッシュと何度言っても言いたりないほどに満ち足りた気持ちになった。この温かさを感じたまま逝けるなんてなんて幸せなんだろう。
 ルークは頷き崩れそうな体を奮い立たせて、力を支えた。かすむ目に青い空が映った。発動した術が集束していくのを感じてルークは目を閉じた。

 さようならアッシュ……

 そう言いたかったけれど意識をそれ以上保つことはできなかった。







 レムの塔の下でガイの妨害をやっとのことで跳ねのけて塔の上に登り始めたころにはすでに術は展開されていた。超振動の発動をアッシュは感じていた。
 ローレライの解放のみならず障気の中和にも間に合わなかったのかと言いしれぬ憤りを感じた。だが、まだ間に合うはずだ。己のレプリカの最後を見届けねばならない。
 たとえどんなに劣化品でどうしようもないほどのできそこないで、甘えたでさみしがりで泣き虫な屑だとしても、あれでもアッシュのレプリカなのだから。独りで逝かせるのは忍びないと……いや、きちんと仕事がやりとおせるのかを見届けるのだ。アッシュは一瞬でも頭をよぎった考えに舌打ちをし打ち消した。
「見届けねぇと、もしも生き残って世界を破滅させるようなことでもするようならば止めなければならない。オリジナルの義務として最後まで見てやる」
 アッシュは言葉にしてその思いを確認した。決して同情や憐れみではない。ましてや惜しんでいるわけなどでは決してないのだ。

 最上階はすでにレプリカの姿はほとんど残っておらず、光になって次々で消えていく。綺麗だが壮絶な景色だった。人が風に吹かれただけで消えるのだ。次々とそこにいた人影は消えていく。
「レプリカ……」
 アッシュは辺りを見回して己のレプリカの姿を探した。目の前にいたレプリカがアッシュの呼びかけに顔を向けた。知らぬ人のレプリカがじっとアッシュを見つめ、表情を変えずに消えていく。アッシュの背筋が凍るような気がした。レプリカと呼べはそれは己のレプリカのことだと思い込んでいたが違う。あいつを呼ぶにはそれでは駄目なのだ。
「ルーク……」
 呼応するように「駄目だと」叫ぶ声が聞こえた。フロアの中央でルークが苦しそうに剣に縋るようにして術を発動していた。そうしている間にもレプリカは姿を消していた。残っているのはルークだけというような状態だった。
 そのルークすら今は他のレプリカ達と同じように体が透け、揺らめいていた。
「まだおわってないっ!」
 揺らめいていた腕が少し像がはっきりとした。アッシュはその手に己の手を重ねた。術の発動を一緒に支える。はじめてのことだったが失敗する気はしなかった。
 消えそうだったルークの体が次第にはっきりとした姿を見せた。安定していくのにアッシュは安堵をおぼえた。視線を感じて顔を上げるとルークの涙で潤んだ瞳がアッシュを見ていた。
「ア、アッシュ……」
 安堵した表情にアッシュは顔を背けた。気のきいた言葉が出てこずいつものように『屑がしっかりしやがれ』と怒鳴りつけていた。ルークはそれでも苦しそうな息の下で礼を述べた。礼を述べられる筋合いはない。レプリカの始末をつけにきただけだとそう怒鳴りつけても、ルークは嬉しそうに子供のような素直さで頷いた。
 あたたかい……うれしい……幸せだ……アッシュがいる……

 触れあった指先、フォンスロットからルークの気持ちが流れてきた。触れあう指先の温かさに、心の底から幸せだと感じているのがわかった。


 アッシュは自分ではわからない程の体温に視線を指先へとやった。温かさがわからなくても当然なほどほんの少し触れあっているだけだった。その指先にあと少しだ頑張れと思いを込めて力を込める。術が収束し始めた。
 よくやったと誉めるつもりでアッシュが見た指先はすでにほとんど姿を留めておらず透けていた。
「おい??!!」
 消えているじゃないかとルークへと慌てて視線をやると、その姿はすでに光の粒子となり景色にまぎれ初めていた。
「おい!レプリカ?!」
 声をかけるとレプリカは目をアッシュへとやろうとするが、視線はふらふらと泳ぎ、アッシュへと焦点を定めることができないままゆっくりと瞼が閉じられた。
 ただ幸せそうにその口元が笑みを浮かべていた。朱金の髪が揺らめきレプリカを包みこみ夕日に包まれているように見えた。
「ふざけるなっ!」
 アッシュは超振動の術が消えるのが許せなくて力を込めた。術が収束すればレプリカが完全に消えてしまうそんな直感だった。
「ルーク!!」
 ルークが霧散する。そう思うと同時にアッシュは己とルークがまじりあい何かの流れに巻き込まれるような感じがした。一瞬の出来事だった。
 意識が一瞬途切れた。
 アッシュは暗いところで苦しさに足掻いていた。
 気づけば知らないうちに息をつめていたらしい。アッシュは勢い息を吸い込み呼吸を再開した。アッシュは倒れていた。その指先に他人の存在が感じる。
 触れた指先には朱い髪がまとわりついていた。己とよく似ていて違う朱い髪だった。ルークがその延長上に倒れていた。

 消えていない……それを確認しただけで酷い脱力感に襲われた。




++++








+++38




 肩を叩く者がいる。
「起きろ!」
 ああ……ガイか……もう朝なのか。今日は酷く眠い。もう少し眠らせてくれ。そう思うものの肩を叩く頻度は激しくなっていく。
「うるせぇー!もう少し眠らせっ……!」
 ルークは肩に触れていたいつもの棒を払ったつもりだった。そうする決まりになっているからルークも気兼ねせずに寝返りを打ち、棒を払ったはずだった。その手に触れるものが柔らかく温かなことに違和感を覚えた。
 出しかけていた言葉を途切れさせルークは慌てて体を離した。
「悪いっ!ガイ……大丈夫か?!!」
 誤ってガイに触れてしまったかもしれない。恐怖でルークは慌てて体を起こし、熱源から逃れようと後ずさった。
「うるせぇ!静かにしろ!」
 その声と同時に頭に痛みが生じた。どうやら殴られたらしい。見上げた先にアッシュがいた。
「アッシュ……?!どうして?ガイは??あれ?」
「いいから落ちつけ……体はなんともないか?」
 ルークは床に座ったまま痛むところがないか確認した。痛むのは今打たれたところだけだった。血が出ているところもなかった。
「あ、大丈夫みたいだ……俺……どうして?」
 ルークは辺りを見回した。確かレプリカ達がたくさんいたはずだった……そしてローレライを解放後に障気を中和してそれが宙に消えていくのを見送りった。アッシュに助けてもらってそれを成し遂げ、己が消えたはずだった……
 今いる場所はレムの塔の最上階フロアで間違いないはずだ。アッシュ以外誰もいない。空は青く風はさわやかだった。
「俺……?障気は……?」
 消えかけた腕も元に戻っている。空も青い。夢を見ていたのだろうか?ルークは立ち上がろうとして体に力が入らないことに気付いた。
「あれ?」
 ルークは立ち上がれずに床に這いつくばった。ルークは立ち上がることを諦めて、上半身だけを起こしアッシュに尋ねた。
「障気の中和は?アッシュがしてくれたのか?」
 ローレライの開放で疲れ果てて寝てしまっている間にアッシュがすべてしてしまったのだろうか?自分に都合のいい夢を見ていたとすればあまりにも間抜けすぎる。死んでないということはそういうことだろうか?恥ずかしくて耳が熱くなった。
「俺、寝てた……?アッシュは大丈夫なのか?」
「障気は中和できたはずだ」
 アッシュは空を見上げて、青い空を指さした。
「そっか……アッシュがしたんだな。俺……都合のいい夢なんか見て」
 だから俺は死んでないだな。と言う前にアッシュが怒鳴った。
「くずがっ!!俺は少し手伝っただけだっ!!」
 頬が赤い。アッシュのこういう照れた表情はルークには新鮮に映った。
「ありがとう……アッシュ」
 ルークは床に両手をついて座り込んだまま、体を起こすことがそれ以上できなかった。貧血なのか体が思うように動かない。でもとても晴れやかな気分だった。
「これで終わったんだな」
「ああ……」
 アッシュはさすがに余裕があるらしく立ち上がり、動いている昇降機の方を見ていた。誰かが上がってくるようだ。
 ルークの予想では術が終わると他のレプリカ達のように体が持たずに消えるだと思っていた。しかしアッシュの手助けがあったおかげかなぜかまだ生きていた。アッシュは手助けなんて言うけれど、そのほとんどをやってしまったんじゃないだろうか?それだと術を行使したアッシュの体が心配になった。死の預言はアッシュに降りかかりはしないだろうか?
「アッシュ、体はなんともないのか?」
「ああ、てめーみたいに柔じゃねぇ」
「そっか良かった」
 忌々しそうに言うアッシュはとても元気そうでルークは安堵の息をついた。後はレムの塔でルークが死ぬだけだ。それでアッシュの安全は保障される。ガイの復讐と預言を成就させてそれですべてが終わる。
 さて、どうやって死ぬのだろう。そのことについては誰も言っていなかった。だからてっきり勝手に障気中和で死ぬのだろうと思っていたのだ。それゆえにルーク自身、何の準備もしておらず。もう余力もなくもう一度超振動をつかうことは無理だと思われた。
 腰に付けていた剣が身じろぎで音を立てて、その存在をルークへと知らせた。
 ガイに持たされた剣があった。力が入らず震える手でルークは剣を抜いた。立つのも正直つらい。そのまま剣を床で支えてルークはこの体の重みを利用することにした。
「大丈夫か?もうすぐあいつらがあがってくる」
 アッシュが声をかけてくれた。アッシュの紅い髪が風でその背中で揺れていた。顔を見れないのはちょっと残念だけれど時間がないことを知らせてくれてるアッシュは優しい。ここまで来てアッシュの前でガイに落胆されたくはなかった。
「ああ……急ぐよ……」
 ルークは剣を持つ手に力を込めた。血ができるだけ飛び散らないように気をつけなければいけない。どうせなら他のレプリカのように光になって散れば、後の毒の心配もなかったのに……とルークはどこまでもうまくいかないことを残念に思った。
 ルークは慎重に場所を選んだ。ちくりと剣先が皮膚を刺した。あとは体重をかけてしまうだけだ。震える足に力を入れて少しだけ体を浮かせ、後は脱力するに任せた。
「今さら、何を急ぐんだ……?おいっ……!レプリカ何をしてやがるっ!!」
 乱れた足音が床から伝わってくる。

 鉱山の街でルーク・フォン・ファブレは死ぬ
 これでアッシュは安全だと思うと嬉しくて仕方なかった。

 レプリカだからすべては音素へ還る。アッシュやガイが触れる前に血が音素に返る事を願うばかりだ。なのにどうしてアッシュがこんなに近くに見えるのだろう。どうして背に温かさが伝わってくるんだろう。

 「おい!!ルーク!何をして?!!」
「アッ……シュ……これで安全……だ……か……触っちゃ駄目……だ」
 ルークは離れようともがいた。血が傷口から溢れ流れ落ちるのを感じる。床がぬめり余計にうまく動けない。危険だと言いたいけれど、痛みに慣れてないからうまく言葉にならない。
「動くんじゃねぇ!!わかったから動くな」
 アッシュが青い顔色で言う。ああ毒に触れてしまったのではないだろうか?最後の最後までやっぱり俺はうまくできないなとルークは悲しく思った。




++++








++++39




 消えかけた、いや消えたはずのレプリカが……ルークが目の前にいた。アッシュはにわかには信じられなくて触れて消えてしまいはしないかと、だるく感じる体を叱咤しておそるおそるその体に触れた。
 質感と体温を感じてアッシュはほっと息を継いだ。
「起きろ!」
 声をかけてその肩を叩いた。しばらくそれを繰り返すとようやく意識を取り戻したらしくルークは身じろぎをし、寝返りを打ちながら「もう少し眠らせろ」とアッシュの手を払った。
 突然、アッシュから体を離し慌てた様子で体を起こした。
「わ、悪いガイ。大丈夫か?!」
 触れたことを詫びているらしいのだが、何故にそこでガイの名前なのだとアッシュはやりきれない思いが胸に湧いた。
「うるせぇ!」と怒鳴りつけてその収まりの悪い気持ちをごまかした。うろたえるルークの様子に今までと変わりないことに安堵を覚え、体に異常がないのかを確認させた。現状をお互いに確認した。酷く疲れているのだろう立ち上がることはできないらしく床に座り込んだままでルークはアッシュを見上げていた。澄んだ瞳であまりにもじっと見つめるので気恥ずかしくなってアッシュは背を向けた。
 なんとなく向けた視線の先にあった昇降機が動いているのがわかった。誰か……たぶんガイがしびれを切らして上がってくるのだろう。ならばルークのことはあいつらに任せても大丈夫だろう。若干それはそれで癪に障るのだが、ひとまずは休ませてやりたいしアッシュ自身休みたかった。さすがに疲れを感じた。ルークにしばらくすれば使用人が上がってくるということを教えておいてやろう。独りで何とかしようとして、また無理をしかねない。
「もうすぐあいつらが上がってくる」
「ああ、急ぐ……」
 何を勘違いしたのか慌てた様子でルークが動こうとする気配がした。何も慌てることはない。そのまま楽な姿勢で床にでも転がって居やがれと言ってやろうと振り返りアッシュは目に映るものが理解できなかった。
 床に立てかけた剣にみずから倒れこむレプリカの姿が青い空を背景にアッシュの網膜に焼きついた。立ち上がる事も出来ない程に疲弊した体で何をしているのだろう。もしや剣を杖にしようとして失敗したのか?とてもそうは見えない確信に満ちたルークの瞳がアッシュへと向けられてたいこともアッシュは自覚していた。
「レプリカ!!何をしてやがる!」
 倒れこみルークの体が剣が刺さったまま、鈍い音を立てて床に転がった。流れる血が床を染めていく。
「おい……」
 どうしてそんな風に笑っているんだ。そんなに嬉しそうに何故笑っているのだ?流れる血を止めたくて抱き上げたがどうすることもできなくてアッシュはルークを覗きこむことしかできなかった。
 アッシュは安全だと擦れた声でルークは言った。何がだ?同位体だから血に触れられる事を言っているのか?それを否定するようにルークは触るなともがいてアッシュから離れようとした。それはただ余計に血を流すだけの足掻きでしかなかった。血に触れられるという意味の安全でないとすればどういうことなのだろう。
「動くんじゃねぇ」
 何か言いたげに唇を震わせる。血に触れるなと訴えていることはわかる。アッシュが知りたい事はそんなことではないのに……
「わかったから……動くな……頼む……」
 ルークは悲しそうにその血を手で覆い隠そうと足掻いていた。そのまま意識を失いアッシュの腕の中の重量が増した。


 歓喜を含むルークと呼ぶ声でガイがこの場についたことに気付いた。ルークがいることで死んでいないとガイは喜んだらしいが、アッシュのただならぬ様子に二人も事が理解できたらしい。
「どうしました?」
「ルーク?!」
 昇降機から降り立ったジェイドとガイが慌ただしく駆け寄ってきた。
「触れるんじゃねぇ!こいつの血だ」
「何があったのですか?」
「まさか……アッシュ……」
 ガイが疑いの眼差しをアッシュへと向けてくる。
「俺は何もしてねぇ……こいつが独りで自分で……どうして……?」
 見たことをそのまま伝えるが、アッシュ自身何が起きたのか理解できないでいた。せっかく助かった命をどうして自分で絶つような真似をレプリカがしたのか……処分するつもりだったから手間が省けたとどうして思えないのか?
 治癒術師を早くとジェイドが後ろに向かって叫んだ。血には触れないようにと注意を促しながら後から来る者に指示を出していた。
「アッシュは触れていて大丈夫ですか?いくらあなたでもそれだけ触れれば何かー」
「いや、大丈夫だ。どういうわけかなんともない。傷が塞がれば俺がこのまま下へ連れて行く」
「おや?あなたは彼を処分するつもりではなかったのですか?」
 ジェイドのからかうような言葉にアッシュは忌々しげに歯を音がするほど食いしばった。
「わかっていて聞くな」
「どうしてだ?障気中和は成功したんだろ?ルークは死なずに、消えずに済んだんじゃないのか?どうして怪我をしてるんだ?」
 ガイは心配そうにアッシュの上での中のルークを見つめた。ルークからは返事があるはずもない。かすかな呼吸を繰り返すだけだった。震える手で顔に掛った髪をそっと治してやる。そのまま血の気の引いた頬に触れようとしてアッシュに止められた。
「ガイ……やめておけ。お前に何かあればこいつが悲しむ」
「だが!俺はルークに何もしれやれないのか?」
「いいからとにかく呼びかけてやれ、いつも側にいたのはお前なんだろ?」
 アッシュはルークの頬を撫でるとべったりと血の跡が頬についた。ガイは戸惑いを残しながらもルークの名を呼んだ。
「ルーク!目を開けてくれ!!お前まで俺を置いて行くな!」
 酷く悲しい叫びだった。

 俺を置いて行かないでくれ。

 アッシュは自分の中にあった名前のない衝動がそれだったことに気付いた。消えるなと術を続けた理由も、姿を見て安堵した理由もすべてはそれだった。




++++








++++40




 解けた指先が冷たくて寒い……なんて、もう指はないのに寒いとか冷たいとか変じゃないか。ルークはくすりと笑ってしまった。その指を温めてくれる仄かな温かさに思わず縋る。アッシュの手がルークの指先に触れてとても温かい。
 大好き。触れてくれるからなのか、それともオリジナルだからなのか……それともとても優しい人だからなのかそんなことはルークにはわからなかった。ただずっとそばにいて彼を見ていたいと思ったのだ。
 今はこの暖かさに縋っていたい。自分が消える前にちゃんと手放すから、今だけ縋らせて。レプリカの体が己の意思とは別に勝手に動いてしまう前にちゃんと手放すから……


 ルークはそっとその温かさから手を離した。夢であってもこのぬくもりを手放すのはとても名残惜しい……目を開けると視界を占める紅い色。
 アッシュ……?夢の続きを見ているのだろうか?ルークはそろそろと体を起こした。ベッドの上にアッシュが上体を預けるようにして眠っていた。心地よさそうに眠っている。ゆっくりとアッシュから離れる。うっかりと触れてしまったりすることのないようにしなければならない。
 たしかレムの塔の上で障気を中和したはず……そのあと確かに剣で腹を刺し貫いたはずなのだが、ルークは己の腹部に手をやった。治療が終わったばかりの新しい皮膚に触れた。まだ少し痛みが残る。

 困った……預言もガイの復讐も遂げてない。

 いつまでルークの意識はこの体を使えるのかわからない。時間がない。刷りこみかローレライとかいう神の意思なのか知らないが、ルークがルークで居られる時間は残り少なそうなのだから。早くしなければ……

 アッシュはまだ預言にはとらわれていないようで、呼気も平常だし顔色も悪くなさそうだ。気持ちよさそうに眠るアッシュを見てルークはほっと息をついた。いつまでも見ていたい。ルークの頬がつられて緩む。
 いけない……温かさに縋る時間はもう過ぎたのだ。もう手放していかなければ。

 ルークは部屋を出た。




 廊下に出てしばらく歩くとガイにあった。少しバツが悪いが逃げ隠れできる場所もないので仕方ない。尋ねておきたいことを口にした。
「ガイ……ここどこなんだ?」
「ルーク!大丈夫なのか?!」
「アッシュなら大丈夫。今、部屋で寝てたよ」
「そうじゃなくてお前の怪我は……」
「う……うん……もう大丈夫そう。あの……あのごめんなガイ……ちゃんとするからな」
 ルークは顔をしかめたガイにやっぱり合わせる顔がなくて、思わず下を向いた。恥ずかしい。早くガイの前から逃げたくなった。復讐を遂げさせるって言ったのにぬけぬけと生きてうろついてるなんてガイにとっては悪夢もいいところだろう。大口叩いていただけに恥ずかしい……
「ああ……もうこんなことはやめてくれよ。どれだけ心配したと思ってるんだ……」
 ガイが怒りを露わに言った。
「うん……ごめんな。ちゃんとするからな」
 やっぱり早くやりなおさなくてはいけない。鉱山の街へ行かなければならない。
「で、ルークはどこへ行くんだ?」
「ここがどこかわかんなくてさ……外でも見ればわかるかと思って歩いてたんだ」
「ああ、ベルケンドさ、検査も兼ねてね」
「ベルケンド……」
 またレムの塔は遠くなってしまった。検査と言ったか?ガイの言葉にルークは背筋が冷たくなった。
「ア、アッシュがどこか具合悪くなったのか?」
 そんな風に見えなかっただけで預言はじわじわとアッシュを苦しめているのだろうか?ルークは恐怖で震える手を握りしめてガイに尋ねた。
「いや、二人とも検査に異常はなかったさ。詳しくはジェイドにでも聞いてくれよ」
 ガイは少し引き攣った笑顔で言った。アッシュが無事でよかった。とルークは安堵しながらもルークにも何もなかったことを申し訳なく思った。早くやりなおさなくては。レムの塔に行くためのアルビオールはどこだろうか?
「アルビオールは?」
「街のはずれに泊まってるよ。どうしたんだ?ルーク」
 街のはずれ。ルークはガイの視線が流れる方向にあることを読みとってこくりと頷いた。
「じゃあ」
 ルークは走りだした。
「ルーク?!」



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