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+++誰も触れてはならぬ   (アシュ←ルク)





+++1

 キムラスカの至宝。
 紅玉の髪、碧玉の瞳。白磁の肌。その名は「聖なる焔の光」と言う。
 誰も触れてはならぬ光の王都の秘宝である。

 キムラスカの秘宝は長らく人の目に触れられず、王家の守りファブレ家の奥で大切に守られているという。

 光の王都バチカルに住まう者は口ぐちに言う。
 王城とファブレ家のある上階で赤い髪を見かけた。光り輝く美しいお姿だったとひっそりと噂し合う。その実は誰もそれを見ることが叶わないことを知っていた。それでも噂しあう。自国の誉れ高き誰も見たことのないキムラスカの秘宝を。




 「ルーク様!木登りはやめてくださいとあれほど言ってるでしょう!怪我でもしたらどうするんですか?!」
 木のしたでガイが大声を張り上げる。
「俺がそんな間抜けなことをするか!!そっちこそ様はやめろって何度も言ってるだろうがっ!!」
 ルークは木の枝の上に座り込み下にいるガイに怒鳴りつけた。
「落ちても俺は受け止められませんよ!!」
「そんなの知ってるてーの!むしろ受け止めるな。馬鹿死にたいのか!『触れてはならぬ』だ!!」
「そろそろ戻りましょう。ヴァン謡将がお見えになります」
「な!なんだよそういうことは早く言えよ!!」
 ルークはいそいそと重い腰を上げた。髪が風に煽られて広がり光を受け止めてキラキラと輝いた。ガイは本当に宝だとそんな時は思う。
 軽い足取りで木から飛び降りてルークは貴族らしくない子供っぽい仕草で笑みを浮かべて屋敷へ向かって走りだした。
 バチカルの下層からでは見えないはずの屋敷の庭だが、街では上層階の木立の間に赤い髪を見かけたと噂になっているらしい。
 まことしやかにあれがキムラスカの秘宝『聖なる焔の光』だと。赤い髪が見えたと言う時には晴れなのに下界に虹がかかるのだそうだ。とてもお優しい『聖なる焔の光』が笑みを見せると花々が咲き乱れその笑みを褒め称え、歌を歌えば鳥や獣、魔物までもが頭を垂れて寄りそうらしい。
 街で聞いた噂にガイは苦笑を浮かべずにはいられない。確かに美しいのだが、ただのにんじん嫌いの我儘なお坊ちゃまだと知れたら彼らの夢はどうなるのだろうか?





 月に一度程度のヴァン謡将との剣術の稽古をルークはことのほか楽しみにしている。珍しく額に汗が珠になっていた。ルークは汗に気づいて手を止めた。
「すみません。汗をかいてしまいました」
 ルークは振り返りガイの渡したタオルで汗を拭いた。汗を拭ったタオルは専用のケースへと投げいれた。始終外さない手袋もすでに汗が滲んでいた。
「手袋もかえられますか?」
「そうだな……」
 ルークはしばらく思案したあとに手袋もケースへと投入し新しいものに換えた。普段太陽にさらされない手の甲は運動のために朱が差していたが、透き通るような白い色をしていた。
 ルークの肌に触れたものはすべて焼却処分される。『触れてはならない』と厳命が下っている。そんな緘口令を引かれているはずのルークの私生活が下界に漏れてあのような噂話になっている。
「そのように汗をかくほど懸命になる必要もあるまい」
 ヴァンがもうそろそろ鍛錬はしまいにしようと言うとルークは不満そうに唇を尖らせた。
「だって師匠は当分こられないと先程聞きました。俺もう少しやっておきたいんです」
「ならばしばし休憩してから再開するとしよう。少し何か飲んだ方がいいだろう」
「はい」
 ルークはヴァンの言葉に素直に頷くと笑みを見せた。ヴァンから少し離れた位置のテーブルに腰掛けるとガイの用意した飲み物を口にした。
「ヴァン謡将はこちらに」
 まったく別のテーブルを案内されルークから離れた位置に腰を落ちつかせた。
「未だ子弟といえども同じテーブルにも付けぬとは……相変わらずの徹底ぶりだな」
 ヴァンは苦笑を洩らした。
「貴方の御命のためですよ。ルーク様は」
「「『触れてはならぬ』か……」
「はい」
 ヴァンにグラスを差し出すガイの手をみてヴァンは痛々しそうに眉を顰めた。
「おや、手がかぶれているではないか」
「ああ、そうですね。また油断しました」
 ヴァンはかぶれ具合をまじまじと見ると原因を判じたのか、ヴァンは懐から小さな瓶を取り出した。
「よい薬がある。これを塗ってみるとよい」
「もったいない戴けません」
 ガイはいったん拒否をする。使用人が客人から物をもらうわけにはいかない。
「いいじゃん。もらっとけよ。師匠ありがとうございます。俺からもお礼もうしあげます。よかったなガイ。ダアトの薬ならとても効くに違いない」
 ヴァンはガイの手に薬を塗ってやる。それをルークは目を細めて離れたところから眺めていた。
『触れてはならぬ』は相手がルークに触れてはならぬだけではなく。ルークも触れてはならぬのだ。とこういう時に思い知らされる。
 ルークは二人から視線を外して足元で揺れる花にうつした。



++++






+++2


 頬を冷たいものが撫でる。記憶にない甘い香り。記憶にない音。
 ルークは目を開き暗い空を見た。
「どこだ?ここは……」
 そういえば屋敷に襲撃者があり咄嗟に剣を受け止めて、何かの渦に巻き込まれたような記憶があった。慌てて身体に傷がないかを確認した。打身でしくしくと痛むところはあったが血が出ているところはなかった。ルークに知らずと笑みが浮かんだ。
 甘い香りは足元に広がる白い花のようだった。月の光を受けてそれは発光しているようにも見えた。視線を先にやるとほど近くに襲撃者の女が同じように倒れていた。ルークはそっと近づくと呼気があるのを確かめた。それが穏やかであることにルークはほっと息をついた。
「生きてる。よかった……」
 ルークは立ち上がり辺りを見回した。人の気配はない。ここがどこかもルークにはわからなかった。人に会う前に帰るか隠れるかしなければならない。迎えはもう向かっているのだろうか?それはどれほど待てば到着するのだろうか?
「って俺がどこにいるかもわかんぬぇーのに迎えなんてくるのか?!え?」
 ルークは自分で自分のおめでたい思考に突っ込みを入れた。
「非常にまずい状態じゃねぇの?」
 誰にも会わずにバチカルへと帰ることのできる距離なのだろうか?唯一しっている建造物、ファブレ邸が見えるかと暗い中辺りを見回してみるがそれらしいものはみえなかった。王城らしきものもない。遠くの方に黒いのっぺりとしたものが広がっていた。
「うう……」
 倒れていた女性が身じろぎをして声を上げた。ルークは慌てて物陰に隠れようと辺りを見回した。あいにくと草原なので隠れるようなところが身近にはなかった。ルークは逃げるように木立の方へと駆け出した。足元の花を踏み散らすことに躊躇を覚えたが構ってはいられなかった。
 その足音に気づいたのか彼女は素早く身体を起こし、音のする方へと構えた。ルークは同じように慌てて木の陰に隠れる。
「あ……」
 彼女は不思議そうに逃げて隠れるルークを見た。
「何をしているの?」
 ルークは応えることはせずにじっと木の影に潜む。その豊かな髪が月の光を反射して非常に目立つことには気づいてなかった。返答がないので彼女はルークの方へと歩みよって来る。
 ルークは近づいてくる彼女に脅えるように一歩後ろに下がり木の陰に隠れる。
「何をしているの?夜の森は危ないわ。もっと広いところにいた方が視界が広くて安全よ」
 ルークはそれでも息を顰めてやり過ごそうと身を小さくする。とうとう彼女はルークのすぐ近くに立った。
「な、なんでこっちにくるんだよ……」
 ルークはうずくまったまま彼女を見上げた。それは年齢よりはるかに幼い子供の仕草であった。朱い髪に緑の瞳が月の光を受けてセレニアの花のように発光しているように見えた。 ティアは思わず息を飲んだ。
「綺麗……」
「私はティアよ。あなたはルーク様?キムラスカの秘宝の……?」
「なんだよそれ……キムラスカの秘宝とかってのはしらねぇけど俺はルーク・フォン・ファブレだ。ここはどこなんだ?俺、中庭にいたはずなのに……勝手に屋敷を出ちゃいけないんだぞ」
「それはごめんなさい。私とあなたの間に超振動が起きたみたいなの」
「それなんだよ……わけわかんねぇことはいいからさ。さっさとどこかに行けよ」
 ルークは犬猫を追い払うように手を振った。
「失礼ね!私はあなたを偶然とはいえ巻き込んでしまったのだからお屋敷まで送り届ける義務があるのよ」
「義務って……どうでもいいからさ。俺は人にもあっちゃいけないんだ。話をしたことは秘密にしておいてやるからさ。さっさとどこかへ行けよ」
「アナタっ!ここがどこかわかっててそんなこと言ってるの?夜の渓谷は魔物が出るのよ。一人で木陰に隠れてるくらいで夜明かしができるとでも思っているの?それとも剣の腕には覚えがあるとでも?それなら女性を一人で放り出さずに守るべきではなくて?」
「魔物?」
 ルークは脅えたように辺りを見回した。
「あら、腕に覚えがあるわけではなさそうね」
 ティアは上段に構えて楽しそうに鼻で笑った。
「生きて帰りたいのなら二人で一緒に渓谷を抜けるべきよ」
「で、でも……俺は人に会うわけには……」
 ルークは逡巡していた。不意に渓谷の岩を魔物の声が反響し響いた。びくりとルークは身体を竦ませた。
「ほらね。さぁ一緒に行きましょう」
 ティアは綺麗に微笑むと手を差し出した。ルークは差し出された手を眺めて困ったように項垂れた。
「だから……俺は人と一緒には行けないんだ」
「そんなこと言ってる場合じゃないのに……ああ、キムラスカの秘宝は「触れてはならぬ」なんでしたっけ?」
 ティアは嫌味を込めてそういう。ルークはうれしそうに話が通じたと言う風に顔を上げて頷いた。
「そうそう」
「わかったわ、貴方には触れないし必要な話しかしないわよ。それでいい?こんなところに置いて行けば明日の朝になる前にあなたは魔物に食べられてしまうわよ。魔物には「触れてはならぬ」なんて関係ないんだから……」
「それはどうかなぁ……確かめたことないからわかんねーけど」
 また魔物の遠吠えが渓谷に響いた。ルークはまた身体を竦めて木の影に隠れた。
「いつまでそんな風にしているつもりなの?いくわよ。私だって自分の身がかわいいものいつまでも待ってなんてあげないわ」
 ティアはルークに背を向けて歩きだした。その背中はルークを窺いつつ少しずつ先へと行ってしまう。
 
 ルークはしばらくそのままティアが離れていくのを眺めていたが、魔物の気配がルークから離れてティアを追うのに気づいて慌ててティアを追いかけた。ル-クが近づくと魔物は少し距離を取るように離れていく。
「ああ……魔物にも『触れてはならぬ』は有効みたいだ」
 ルークは自嘲した。



+++++





+++3



 視界に手が入った。それが近づいてくる。それが触れようとしてることにルークは気付き、咄嗟に身体が逃げる。
「俺に触れるな!」
 手錠を片手にルークを拘束しようとしていた兵士が困惑したように上司であるジェイドを窺った。ジェイドは呆れを滲ませて兵に待つように指示した。
「逃げようとしたり暴れたりしなければ拘束はしません」
「そんなことするわけねぇだろ。ともかく触るな!」
「だ。そうだ。拘束はいい」
 ルークはすすめられた簡素な椅子に居心地悪そうに座った。
「まぁったくお坊ちゃまは下々の者に触られると穢れるとでも思ってるのぉ?」
「俺は!『触れてはな』」
 ルークが子供の喧嘩のように言い返した。ティアが最後まで言う前に先をいい。わかってるからとルークの言葉を遮った。
「『触れてはならぬ』でしょ知ってるわ」
「なーにが『触れてはならぬ』だかお高くお貴族様はお高く止まって……」
「アニス!口を慎みなさい」
 イオンがアニスの不満そうな声を嗜めた。
「俺は独りになりたい」
 ルークは椅子の上で居心地悪そうに身体を小さくしたまま、心底疲れた様子で訴えた。
「ええ。話が終わりましたら、お部屋で休めるように手配しましょう」
 ジェイドが眼鏡を治し事務的に応えた。
「なら早く話をしろ」



 和平交渉の際に中継ぎをするという強制的なお願いを了承したルークはやっと一人になれるのかと息をついた。
 個室に案内される途中に陸艦タルタロスに緊急警戒を知らせるけたたましい音が鳴り響いた。情報を取るジェイドの様子からあまり戦況はよくないようだった。
 ティアとジェイドに連れられて混乱している廊下を走りぬけた。横をすれ違って行く兵士が傷ついているものが大勢いた。角を曲がるとそこには兵士が血まみれで倒れていた。目の前で起きることが信じられない。なにか夢でも見ているんじゃないかとルークは思い始めていた。
 狭い廊下に獣の咆哮が響いている。
 扉を抜けると外の甲板上は明るく思わずルークは息をついたが、そこは鼻をつく嫌なにおいであふれていた。ティアとジェイドが血まみれの兵士が転がる部屋へと入っていく。ルークは再び暗い内部に入るのに躊躇した。
「おい!俺はどうするんだよ!」
「一緒に来るのが嫌なら見張りをしていて」
 ティアの言葉に思わず頷いてしまう。中も地獄の様相なら外も同じことに扉が閉じてから気づく。見慣れない鎧を着た男がうめき声をあげて微動する。ルークは目を覚ますなと心の中で念じる。
 縋るようにろくに使えもしない剣を握りしめる。
 気配を感じて目を開けるとそこには先程まで倒れていた兵士が剣を振りかぶっていた。咄嗟に手にしていた剣を振りまわした。
 鈍い音がした。剣が重くなり何が起こったのかとゆっくりと目を開けると恨みと驚きで見開かれた目に己が映り込んでいるのが見えた。
「ひっ!!俺が刺した……殺した?」
 ルークは剣から手を離した。
「このできそこない」
 声がしたと思うと同時に、腕に灼熱を感じた。
 気づけば目の前に赤と黒の人が立っていた。彼の持つ剣が腕を傷つけていた。血が彼の持つ剣にゆっくりと紅い筋を作っていた。剣はそれ以上振り切られることなく引かれた。
「ああ!血が!!血が!!」
 ルークはとっさに血が溢れる傷口を空いた手で押さえたが、血は指の間から滲み始めた。
「血が止まらない!!」
「血が怖いなら剣なんて棄てちまいな!このできそこないが!!」
 間近にある顔を見てルークはますますパニックを起こした。
「な、なんで?同じ……顔?」
 血で汚れた手で鏡かとその頬を撫でた。べったりと彼の頬に紅い指の跡がついた。
「何しやがるこの屑!!」
「え?触った?!」
 意味不明な言葉を叫ぶルークを彼は殴り倒した。
「アッシュ師団長!」
 彼が呼ばれて振り返った。紅い長い髪が揺れた。


 ライガが興奮した声を上げて辺りを徘徊するが、それ以上近づいてこようとしない。アッシュは頬についた血を舌先で少量なめとった。
「ああ……そういうことか」
 アッシュは口の端を上げた。その姿をルークは床に転がったまま呆然と見ていた。
 
「師団長」
 心配そうに駆け寄って来る部下にアッシュは問題ないと手を振った。
「引き上げるぞ」
「殲滅命令では?」
「こいつのおかげで勝手に総崩れになる」
 アッシュは喉の奥で楽しそうに笑った。
「あ、そうだ。そいつには気をつけろ。血などに触れるなよ。死にたくなかったらな……」
 アッシュはハンカチで顔についた血を丁寧に拭いとるとそれをルークの方へと投げ捨てた。澄んだ翠の瞳がアッシュをじっと見つめていた。
「屑どころか毒虫だったか……」
 自覚があったらしくアッシュの言葉にルークは傷ついた表情をし俯いた。アッシュは激情に駆られて剣をその脇腹へと突き立てた。
「せいぜいその力でマルクト兵を減らすことだな。キムラスカの秘宝」



++++






+++4



 屈辱的な言葉を投げかけられたにも関わらず、報復どころか反論すらできずルークはうめき声を上げるしかできなかった。
 顔に触れたそして血がついた。しかもそれを舐めていたにもかかわらずにアッシュ師団長と呼ばれた男は苦しむ様子もなくルークに剣をつき立てた。
 脇腹が熱い。その前に切られた腕も痛かったがそれ以上だった。心臓がそこに移動したのではないかと思えるほどに脈打ちそのたびに痛みが跳ねる。
 溢れる紅い血を止めなくてはと思うものの、手で押さえる以外の方法が思いつかず両手で傷口を抑えるが指の間から脈打つのとおなじリズムで血が溢れて来ていた。
 痛みのために涙が止まらない。額にも寒いのに汗がにじむ。
 誰にも触れられないところに移動しなければと思うものの身体が重くて動かない。流れた血はどれほどなのだろうか。誰か触れたりしなければいいのだが、甲板は他の兵士の血でも汚れていた。
 ルークは意識が暗い闇に引きずられていくのを感じた。
 誰も俺に触れるな……

 誰も触れてくれるな……


 ルークは最後の力で身体を丸くすることしかできなかった。



 名を呼ばれている。
「ルーク!ルーク!」
 切迫した女性の声が名前を呼んでいる。ルークはゆっくりと瞼を上げた。亜麻色の髪が覗き込んでいた。あまりの距離の近さにルークはとっさに後ずさった。
「な、なんだ……?」
 身体を起こして腹部が痛まないのを不思議になり切られたはずの場所を手で確認した。血を吸ってごわごわしている手袋はつるりとした皮膚に触れた。
「あ?怪我が治ってる……」
「ええ、治癒術で治しておいたわ」
「あ、ありがとう」
 小さな船室のベッドに運びこまれたようだった。運ばれたということは触れた者がいるということだ。
「……まさか触れてはないだろうな?」
 血や身体に触れていなければいいのだが。それは無理な話だったようだ。
「ええ、そういう約束だったから私は触れなかったわ。手袋をしていたし……」
 ティアの表情が途端に暗く陰った。その返答で何があったか察しがついたルークは天を仰いだ。
「触れた者がいたのか?」
 ティアは頷いた。ルークは小さく吐息をついた。
「流れた血にも触れないように……」
「ええ……もう大佐がそのように、対処が早かったので被害は最小限に抑えられたわ」
「すまない」
 ルークはぽたりと落ちた雫を不思議そうに眺めて慌てて手の甲で頬を拭いた。
「俺の近くにいると危険だ。さっさと出て行け。誰もここに入るな」
「あなた……なんなの?大佐が『毒姫』ですか……って……」
「ああ……毒虫よりはいい呼び方だな。さすがに誘拐した方は知っていたわけか……」
 ルークは淡々と語り自嘲気味に笑みを浮かべた。
「あなた泣いているの?」
 ティアが女の子らしいハンカチをルークへと差し出した。ルークは受け取ろうと手を差し出し血に汚れていることに気づいてその手をひっこめた。
「いい……いらない。これも毒だ……」
「その手袋は外さないの?」
「替えがない」
「あ……ごめんなさい。大佐に聞いてみるわ」
「構わなくていい……出ていってくれよ。俺は独りになりたいんだ」
 ルークはベッド上で膝を抱えた。
 ティアは困ったようにルークを見ていたが、諦めて席を立った。
「何か用があれば呼んでね」
 ルークは沈黙で応えた。扉が開く気配にルークが顔を上げた。扉を開け出ていくことを躊躇していたティアと目があった。
「何人死んだ……?」
「まだはっきりとはわからないけれど…あなたの近くに数人は倒れていたわ」
「そうか……」
 ルークの唇が微かに祈りの形に動いた。




++++




+++5



 白い肌は青白く俯いて顔を上げることもなく。部屋の隅でじっと蹲っていた。タルタロスという陸艦の駆動音が地響きのように部屋を痺れさせていた。
「ルーク様」
 扉越しにガイの声を聞いて機械仕掛けのように顔を跳ねあげた。荒み濁った眼がこちらを見上げていた。焦点の合わない視線は諦めたようにまた床へと戻ろうとし、ふと確認するようにまた見上げる。鉄格子の入った窓ごしにガイの姿を確認したのだろう。目が驚いたように大きく開き、ゆっくりと瞬きを繰り返した。
「ガイ……」
 擦れた声でガイの名を呼び、あからさまにほっとした表情をした。泣いたのであろう涙の跡が頬についていた。薔薇の花弁とまで言われた唇は渇き干からびていた。薄汚れた服と手袋が痛々しい。血がついたのだろうか黒いしみがあちらこちらに斑模様のようについていた。
「ルーク様怪我をなさったのですか?」
 ルークは己の姿を確認する。洋服の血の跡に気づいて慌てて目をそらした。
「こ、これは……もう治ったから大丈夫……」
 言葉にしながらルークは思い出したのか脅えたように青い顔をますます青くして、瞳を陰らせた。言葉を交わしておきながら扉は開かれない。酷くやつれて見える。
「お食事はされなかったのですか?」
「だって……涙がでる」
 それは涙が出ると困るという理由で、水分すらとっていなかったということか?
「触れなければ大丈夫でしょうに……」
「だって……」
 ルークは言葉を詰まらせた。ガイにも何かがあったことは察しがついた。それでルークはこの独房の様な小さな部屋に閉じこもったのだろう。
「俺が来たからもう大丈夫です。お飲み物を飲んでください」
 ガイは扉に付けられた小窓からカップを差し入れた。少しだけ塩分と砂糖の入った水がカップの中で踊る。魅入られたようにルークは水面を見つめている。
「どうぞ」
「もう大丈夫?」
「ええ……」
 ルークは躊躇しながらカップに口をつけ貪るように飲みほした。
「扉を開けてください。ルーク様」
 ルークはゆっくりとした動作で立ち上がると扉を開けた。
「湯あみもしましょう」
 ルークは床に脱力したように座り込み、こくりと頷き空になったカップを見つめていた。
「おかわりを用意いたしましょう」
「早く帰りたい……」
 ルークはガイにカップを差し出しながらポツリと呟いた。カップになみなみと水が注がれた。
「誰も俺に触れるな……」
 カップの水面が返事をするようにたぷんと揺れた。
「ええ……触れません」
 ガイの返答を聞いてルークはほっとしたように二杯目を口に運んだ。

 消化の良い離乳食のような軽食を取らせた後は、タルタロスの指揮官であるジェイドに湯あみの準備を整えさせた。
 いつもの手順で慣れない場所での湯あみを終え、洋服もすべて新しいものに変えさせた。髪を手入れするに至ってルークは安心したのかうとうととまどろみ始めた。
「俺の血に触れてもなんともない人がいた……」
 不意にルークが小さな声でそう呟いた。
「そんな人がいるのですか?」
 ガイは心の底からの答えだった。
「うん……すげーだろ」
 そういいながらルークは口の端を緩く上げた。
「父上に似てた…な……」
 そういったあとルークは俯いたまま寝入ってしまった。公爵に隠し子がいたのかとガイが驚嘆しているにも関わらずルークは穏やかな寝息を立てていた。




++++




+++6



 ルーク・フォン・ファブレの使用人だというガイが迎えに来た。マルクトの陸艦に堂々と乗り込んでくるあたりがさすがと言うべきなのか、ファブレ家の使用人として非常によくルークを支えていた。
 正直、扱いに困っていたルークを押しつけて、かなり贅沢な要求もすべて受け入れた。たぶんそうしなければ乗員はもっと減っていただろう。
 身なりを整えたルークに会ってなるほど「キムラスカの秘宝」というのもあながち間違いではないのだとジェイドは再認識した。黙っていれば……だが。
 ジェイドは目の前に座るルークをしげしげと眺めた。ルークは不機嫌を隠しもせずに座っていたが、視線をそらさずにそのまま不躾だと思いながら見つめ続けると、ルークはジェイドの視線に居心地悪そうに肩を寄せ小さくなった。
「さて、貴方が特殊な身体であることは理解しましたが、解毒方法を教えてはいただけませんか?まだ苦しんでいるものがおります」
「ない」
 ルークの躊躇いのない二言。後ろに立つガイも気の毒そうに視線を下げた。
「逆にお前たちの方がもっているんじゃないのか?マルクトが俺を誘拐してこんな風にしたんだろ?」
「なんの話ですか?」
「俺は7年前にマルクトに誘拐されたことがあることは前に言ったな」
「ええ……こちらはそのようなことは初耳でしたが、なにぶん先代の話ですので確証はありません」
「だからさ、そのあとに俺はこんな身体になっちまったって言ってるんだよ」
 ルークは不愉快そうに顔を背けた。ルークはそれ以上話をするつもりはないらしい。
「知らないのならもういい。解毒剤の類はない。それだけだ」
 勢いで席を立つかと思われたが、そうはせずにルークはしばし考え込みそこで一呼吸置いた。
「……俺のために苦しむ者に慈悲を与えてやってもいい」
 ルークは言い淀み頬を紅くして横を向いた。ガイが驚いた様子で止めようとする。
「ルーク様おやめください!!」
「慈悲?」
 ジェイドは言わんとすることが理解できず二人を見返した。ガイとルークは押し問答のように言い合っていた。
「駄目ですそれは絶対にさせません。公爵家に使える者でもない者にましてやマルクト兵にそのようなことは許されません。公爵様に知れたらどうなることかっ!」
「だってさ……俺に出来ることってそれくらいしかない。ずっと苦しむのなら早い方がいい。俺だって……したくないけど……」
 ルークが何かを思い出したように辛そうに目を伏せた。
「したくないことをされることはありません」
 ガイがそれで話は終わりだというようにジェイドへと向いた。
「今の話は聞かなかったことにしてください」
「慈悲というのは、つまり止めを刺してくれようとそういうお話ですね」
 ジェイドの確認の言葉にガイが頷いた。ジェイドは呆れを隠そうともせずに溜息をついた。慈悲は不要だとだけ伝える。
「話はそれだけか?俺は部屋へ戻る」
 ルークは些かほっとした表情を見せた。そしてゆるりと席を立つ。ガイを従えて部屋を出ていった。


 ルークの後について部屋を出て行くガイをジェイドが呼びとめた。
「興味本位でお伺いしますが、慈悲の方法を教えて戴いても?」
 ガイが不快そうに口元を歪めた。
「くちづけだ」
 吐き捨てるようにガイはいい、扉が大きな音を立てて閉じた。
「それはそれは……」
 確かに慈悲だろう。ジェイドは誰もいなくなった部屋で独りごちた。



++++




+++7


 ガイが乗り込んできてからはルークのマルクトの陸艦タルタロスでの旅はそこそこ快適になったが、さすがにこのままバチカルに許可もなしに入港はできないということになりカイツール港で迎えの船に乗り換えることとなった。
「やっと慣れてきたのに」
 ガイによって整えられた船室で残念そうにルークにガイは苦笑を洩らす。
「公爵家の船が迎えに来てるそうですよ。ルーク様のいいようにしつらえられてますよ」
「そうだけどさ……冒険が終わりなのが少し残念におもえてきた」
「泣いて帰りたいっておっしゃっていましたのに?」
 ガイの言葉にルークは頬を朱に染めた。
「誰にも言うなよ!ぜってーに言うな!!」
「わかってます。誰にもいいません。ルーク様は立派でしたとお伝えします」
「よし!」
 ルークはほっとしたようにベッドに倒れ込んだ。ピローを抱えて小さな窓の外をみる。
「この流れる景色も見おさめかぁ……それとカビ臭い枕も……」
「昨日干したところですよ」
 マルクト兵に辟易とした表情で眺められながら、タルタロスの甲板に干した苦労の一品だ。ガイの苦労が報われることは少ない。
「わ〜ってる!」
「軍港にはヴァン謡将がお迎えに来てくれてるそうですよ」
 ルークは途端に飛び起きた。慌てて辺りを見回して剣を探す。
「本当か!わ、どうしよう俺全然練習してない。怠けてたって思われたらどうしよう」
「練習以上の冒険をされたのでいいんじゃないですか?」
「そっか……そうだよな」
 ルークは納得したように頷く。
「俺、魔物も倒したし!小さいのだけど……」
「ええ。ヴァン謡将も驚かれますね」
「だよな!」
 ルークは剣を構えてみせ、子供のように笑みを浮かべた。




 マルクト側のカイツール港に入港し、後は陸路でキムラスカ側のカイツール港へと向かう。検問所でヴァン謡将が旅券を持って迎えに来ていた。
 ルークは子供のように瞳を輝かせてそのことを喜びその労をねぎらった。同行しているイオンの体調もあり一泊検問所近くですることになった。
 ルークは別に誂えられた天幕で一日過ごす。慣れ親しんだシーツの感触を楽しみながらも、帰ってしまえばもうしばらくは外に出られないのかと思うと本当に残念な気持ちになってきた。そして天幕の外のざわめきが気になる。
「ガイ、なんだか賑やかな音がしているが何かあるのか?」
「ああ、今日は春をお迎えするお祭りなんだそうです。ちょっと騒がしくなるけど我慢してください」
「そうか……祭りか」
 ルークの視線が丁度賑やかなメロディの聞こえた方角へと流れた。天幕の厚い幕でその向こうを窺うことはできない。
「なぁ。ガイ」
「甘えるように言っても外出はできませんよ」
「わ〜ってるって」
 室内を整える手を止めることなくガイは冷たく言い放った。ルークはくすりと笑う。
「だからさ、お前が行っていろんなもの見てきてくれよ。それでさ俺に教えてくれよ」
「え?」
 ガイが驚いた様子で顔を上げる。
「お前だって祭りって気になるだろ?俺だって知りたいし、だから!代わりに見てきてくれよ。外ってのはさ、すげーんだぜ。見たことのないもんがいっぱいあるし、人だっていっぱいいる。俺エンゲーブってところでブウサキをみた。ブウサギって言っても肉じゃないぜ。丸くってぶーぶー言ってるやつ。ガイはないだろうけど」
 ルークは鼻高々というように胸を張る。ガイはいつもようり饒舌なルークをあっけにとられて見ていた。
「どうしたんです?ルーク様」
「だからさ、見れないから見た人に聞くしかないじゃん。お前見てきてくれよ」
 未知のものに対する期待でルークの瞳がキラキラと輝いていた。
「一人で留守番なんてできるんですか?」
「大丈夫だって、外には白光騎士団がいるしさ。俺は寝ることにする。この枕久々でよく眠れそう」
 ルークはハーブの香りのする枕に顔を埋めた。
「本当に一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫だって」



++++






+++8



 ひと眠りから覚めて、天幕の中はルーク以外はいなかった。まだガイは外出から戻っていないらしい。ついでに買いものを済ませてくると言っていたので時間がかかっているのだろう。とはいえ日はまだ高い。当分は戻って来ることはないだろう。
 天幕の外は相変わらず賑やかな音が聞こえてくる。ルークは天幕の間からそっと外を覗き見た。木立の向こうに配色の派手な天幕があった。噂にきくサーカスというものだろうとルークは予想を立てた。ガイはあれも見てきてくれるだろうか?絵本で見たように本当に綱の上を人が歩くのだろうか?
 人通りの少ない街外れにたてられたルークの天幕の近くを通るものは少ない。ルークは身をのりだして辺りの景色を除き見た。天幕を出たすぐに綺麗な花が咲いていた。
 ルークは天幕をもとに戻すとフードをかぶり天幕を出る。警備にあたる白光騎士にどちらに?などと制止されるがすぐ裏にあった花を摘みたいのだと言えばそのまま通してくれた。やはり後には着いてきていた。
 仄かに甘い香りのする花を摘み。
「なぁ。これをイオン導師に届けてやってくれよ。具合が悪くていらっしゃるとか。この程度の香りならきっと邪魔にはならないだろう?」
 ルークは摘み取った花ではなく。先にある花を指差した。白光騎士は頷きそれを摘み取った。
「あとで届けさせましょう」
「花が元気なうちに届けてやってくれよ」
 ルークはそう笑って言う。
「ではルーク様天幕へお戻りになられましたらすぐにでも」
「わーった。戻ればいいんだろ」
 ルークは天幕へと戻り入り口で早くイオンに届けるようにと騎士をせかした。騎士の後ろ姿を見送って天幕に入ろうと入り口をくぐるとき、外の風景をを目に焼き付けておこうと振り返った。
 表の村の通りは人通りが少ないのか村人らしき人影を見ることはなかった。少しくらい村人を見てみたかったのだがと残念に思いながらルークは通りを眺める。木立の間に人影が見えた。それは特徴のある紅い髪をしていた。紅い髪が見え、しだいに遠ざかっていく。
 アッシュ師団長だ。と認識すると同時にルークは駆け出していた。


 ルークは後を追ったもののその後のことを考えておらず、声をかけていいものか迷ったままずっと後を付けていくことになる。紅い髪に引き寄せられるように街へと向かう道を行く、急にアッシュが足を速めた。ルークも慌てて後を追う。人通りの少ないところでよかったとルークは思いながらも裏通りを歩く。アッシュが曲がった角を同じようにそう時間をおかずに曲がった。
「何か用か?」
 胸元に鈍く突き刺さるような感触があった。勢いがついてそのまま痛みが走りルークは思わずそれを両手で押さえた。
「った…い」
 痛みにより顔を歪めたルークにアッシュの方が胸を押していた鞘を引いた。
「鈍い奴だな。それに尾行も下手すぎる。いったいどこの……」
 アッシュはじっとフードの下の顔を覗き込んだ。アッシュはそれがルークだと確認すると舌打ちをする。
「独りでうろつくなんざのんきなものだな。ファブレの秘宝」
 棘のある言葉にルークは思わずなぜ追いかけたのかと自分の行動を恨めしく思った。
「尾行なんてしてねぇよ!アッシュに聞きたいことがあって追いかけてたんだ!」
 勢いこんでルークは反論した。それがますます子供じみて見えることにルークは苛立つ。
「ほぉ」
 アッシュは明らかに見下した笑みをルークへと向けた。ルークは思わずアッシュを睨みつけ威嚇する。
「で、何を聞きたいというんだ?」
 アッシュはそんなルークの威嚇を気にも留めずにその先を促した。
「え……その。父上にどうして似てるのかとか、俺に触れてへいきなのはどうしてだとか」
 ルークの言葉にアッシュの眉間の皺が次第に深くなっていく。
「父上だと……寄りに寄ってそれか。劣化にも程があるな……どのあたりが似ていると言うのだ!」
 最後には屑がっ……と履き捨てるようにアッシュは言う。ルークは思わず身を堅くして小さくなる。
「どのあたりって髪とかあと立ち姿がすっげー似てる。な。見てみるか?」
 ルークはいいことを思いついたどばかりに、うれしそうにポケットから紙に包みを取りだした。ダアトの飾り罫の入った便せんを畳んだ中から小さな写真が出てきた。ルークはそれを見るととてもうれしそうに目を細めた。
 楕円形の小さな写真の中には少し困惑したような表情の公爵夫妻がたたずんでいた。もう少しいい表情のものを選べばいいものをとアッシュは思いながら久しく見る夫妻の姿に頬が緩んだ。
「ファブレ公爵夫妻はお元気か?」
「たぶん?」
 ルークは写真に頬笑みかけ元気ですか?と声をかけている。両親のことだろうが、とアッシュは言いかけて旅の途中だったことを思い出した。
「その、旅に出る前はどうだったのだ?」
「だから元気だと思うよ。ガイに聞いてみろよ。俺を迎えに来る時に厳命だったって言ってるから会ってるかも?」
「ガイだと、あれもお前と時を置かずにバチカルを出てるだろうが、写真に声をかけるなんざ気持ち悪いことしてるんじゃねぇよ」
「俺にとって父上と母上はこれなんだからいいんだよ」
「は?」
「ガイが俺のために写真を撮ってきてくれたんだ。顔を知らないとまずいだろうって」
 ルークはとてもうれしそうに写真をもう一度見てから大切そうに包みなおしていた。部屋には大きな姿絵があってそちらの方がもっとよく見えるとルークは自慢する。
「そんな大事ならもう少しましな物にでも入れておけ」
「まぁ入れてたんだけどね。馬車に乗るのにさ。俺お金ってもの知らなくて……写真がいるって言われなくて本当によかった」
「お前の話は本当に要領が得ないな。お前からみて夫妻はどうみえたのだ?」
「見える?」
「だからお会いしたときの顔色とかあるだろうが!」
「会ったことねぇからしらねぇよ!あっ!でも寒くなる前に中庭にいたから元気だと思う。あっ!こっそりのぞいたんだ秘密にしておいてくれよ。……ん?ってそういうこと?」
 ルークはアッシュの聞きたいことがわかったとばかりに自信ありげに答えた。
「会ったことないだと?」
「だって二人ともキムラスカにとっても大切な人なんだって、もしものことがあったら駄目なんだぜ」
 ルークは気にしてる風でもなく同じ歩調のままで先へ進む。足が止まったアッシュが少し遅れた。
「母上は白い花が好きなんだってペールが言ってた」
 ルークは胸に抱えた白い花に鼻を近づけ芳香を楽しむ。
「お前は……陽だまりにいるのではないのか?」
 アッシュは小さな声で呟く。人の話声が近づいてくるのに気づきアッシュは辺りを見回し物陰に隠れた。ルークは引き寄せられたことに驚いて慌てて離れようとする。
「暴れるな」
「だって俺……」
「あ……触れても大丈夫だったっけ?」
 ルークは不思議だと首を傾げたあとにうれしそうな笑みをアッシュへと向けた。
「おい、お前に用がある少し一緒に来い」
「何?ヴァン師匠のご用か?お前ヴァン師匠の部下の六神将なんだってな。俺とそう変わらない年みたいなのにすげーな」
 ルークは尊敬の眼差しでもってアッシュを見る。
「そのうえ俺にも触れるしさ」
 はにかんだ笑みをかみ殺すようにルークは俯いた。胸に抱えた花が揺れほのかに芳香が辺りに広がった。アッシュはルークと距離をはなしその香りから顔を反らすように通りへと視線を送った。



+++++





+++9


「俺は昔から毒に対して訓練を受けたから多少の毒には抵抗力がある」
「そうなんだ。ガイみたいなものだな」
 ルークは尊敬な眼差しを素直に向ける。少しそれはアッシュには眩しく映った。
「もう用がないのなら俺は行く」
 アッシュは逃げるように踵を返し足早に去ろうとするのをルークは外衣の裾を掴んで引きとめた。
「他に何かあるのか?」
「あ、あのさ、さっきのを……さっきのをもう一度やって」
 ルークはまっすぐにアッシュを見つめていた。
「は?」
 ルークの言う先程のという言葉の意味が理解できずにアッシュは間抜けた声を返してしまった。
「ぎゅってするの」
「は?」
 ルークの頬がしだいに紅くなる。気まずそうに視線をそらし俯いてしまう。それで何を指しているのかをアッシュは遅ればせながらに理解した。
「ご、ごめん。俺何か変なことを言ったみたいだ。忘れてくれ」
 今度はルークが逃げるように後ずさった。アッシュは慌ててその腕を掴み引き寄せた。
「いや。理解した」
 そのまま勢いに任せて、同じはずなのにアッシュよりずっと小さく感じるその身体を抱き寄せた。甘い香りがアッシュを包んだ。
「いい香りがするな」
 アッシュが思っていたことをルークの口から聞き驚嘆した。肩にルークの吐息がかかりくすぐったい。肩にもたれるようにしているルークは目を閉じて甘えるように体重をアッシュへと任せている。遠慮がちにその腕をアッシュの背へと回していた。
「お前のほうこそいい匂いがする」
「それは花の香りだよ」
 ルークが喉で笑う振動が胸に響き、不思議と心地よかった。
「俺ずっと憧れてたんだ。こういうぎゅってしてもらうの。夢がかなってうれしい。俺アッシュに何かお礼がしたいけど……何かできる?」
 温もりが離れて行くのが心なしか寂しく感じた。離れたことによって見えた翠の瞳がアッシュを映していた。
「お礼など別にいい。別に大したことではないからな」
 アッシュは己の耳が熱くなるのを感じた。
「あのさ、俺の家バチカルのファブレって家なんだ。もし近くに来ることがあれば寄ってくれよ」
 無茶を言うなとアッシュは眉を顰めた。
「駄目か?」
「いかねぇよ」
「どうしても?」
「どうしてもだ。どうして俺が出向く必要があるんだ。屑が」
「そ、そうだよな。俺さ、あと3年したら屋敷から出られるようになるからさ。俺がアッシュに会いに行くよ。ダアトに行けばアッシュに会えるんだよな?」
 ルークは夢見るように瞳を輝かせた。
「きっと俺アッシュに会いに行くから。それまでにこの身体が普通になっていれば、いいんだけどな」
 ルークが自身の身体を眺めた。
「なってなくても会いにいくからっ!」
 そんなに力を入れて言うことか?とアッシュはルークの身体から顔へと視線を上げた。キラキラと輝く瞳が眩しい。
「頼んでねぇよ」
 アッシュの言葉はルークには届かなかったらしく、ルークは弾むように歩きはじめる。
「3年後が今まで以上に待ち遠しいよ!」
 ありもしない3年後に夢を馳せる姿は哀れだった。お前は今年鉱山の街で死ぬのだ。哀れだ。ヴァンもかつてのアッシュを見てそう感じたのだろうか?
 ありもしない未来を語るルーク・フォン・ファブレを見て憐みを感じ手を伸ばしたのだろうか?アッシュは知らずとルークの揺れる腕を掴みその身体を抱きしめていた。



+++END+++





 アッシュがほだされ始めたところにてひとまず終了させていただきます。書ききれてないと感じています。書きたかったエピソードまだ全然書けてないTT
 それは短編でかくかこのあと2部として続けるかは未定です。でも何か続きは書こうと思ってます。だってまだ肝心なところ書いてないTTそれを書くために始めたのに……メソメソ。すごく長くなりそうな予感がしてきました。力量が足りなくてすみませんorz

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